2012年3月30日金曜日

同窓会出席者数

いよいよ,〆切の日。
生徒80名 先生方5人目標数に達して世話人一同一安心。
返信まだの人にもう一度忘れてないか確認することになった。
久しぶりなので一人でも多く参加してもらいたい。
前回(15年前)出席の人が半数で残りの半数は今回初めての方々らしい。
誰だかわからなくなっているのではと皆が言った。
懐かしい同級生にあと1ヶ月足らずで逢えるのだ。楽しみが膨らんでくる。
だが、当日手順よく進行させる為、細やかな下準備が必要。
何より私の司会頑張らねば。力不足はもとより承知だが、
引き受けた以上はそんなこと言ってられない。
ちゃんと原稿まで用意してくれる気の配りように頭が下がる。
お天気になればいいな~。

2012年3月21日水曜日

地下資源

大きな見出しで「水源の森外資買収攻勢」とある。
その新聞によると、森林など水源となる土地が中国などの外国資本に買収されるケースが
全国で相次いでいるらしい。地下水採取権は土地所有者にあるため、地下水を飲用で売るのが
目的だとか。
石油や鉱物などの地下資源はその国の重要な経済源であるが、水も重要な地下資源であることを
余りに身近すぎて見過ごされていたのだろうか。
そういう私もいくらでも蛇口から出るのが当然と思っていた。
その水源が日本にあるのに海外の国にお金を支払って使わせてもらうことになったりしかねない。
森林や山の所有者の後継者難で手放したいと思う人もいるとか、
この様な現象も人口減の悩みなのだろうか。高齢化と出生率の低下をまた別の切り口から見せつけられた気がした。

読書

年頭の目標は「読書」だった。2月は逃げる、3月は去るとか・・・そしてアリャ!
すっかり忘れていた。松山市の友はさすが地元、「坂の上の雲」を薦めてくれたが8巻もの
長編、我が家にも揃ってあるのだが手が出ない。
手が出ないで思い出したが、高校時代の担任が三木清の「人生論ノート」薦めて下さったが
それも我が家にあった記憶がある。
タイトルだけは覚えていて「いつか、いつか」が40数年。気の長い話である。
出来そうで出来てない人生の積み残しが時々こうして記憶の深みから呼びかけてくる。
そろそろその呼びかけに応えなければ。

2012年3月17日土曜日

ブログ閲覧

昨夜、ミニ同窓会があった。
「弘子さんがブログ、見たよ。」て言ってたよ、と隣あった友人が教えてくれた。うれしいなァ。平凡でテーマも地味でなかなか誰かの目に触れるというのではないので、見てくれる人がいるというのは
ホンマにうれしい。
コメント欄に書き込むには記事の下の方のコメントというとこに
ポインタをあわすと手のマークになるのでそこをクリックしてね。
しばらくするとコメント欄がでます。
そこにコメントを書いて名前とかの欄はペンネームでも良いので
記入して公開というとこをクリックしてね。
返信は私が拝見した時致します。
お願いね❤

2012年3月16日金曜日

同窓会出席者数

うれしいもので、出席してくれる同級生は78人になった.
目標の80人にひとまず近づいたことに。
返信まだの人が何人かいるのは日程の都合をやりくりしてくれているのだろう。
出席できない人たちも近況を書いてくれていたり、労をねぎらってくれていたりと懐かしさが
こみあげる。
長年離れていても同級生は良いものだ。
その日まであと1ヶ月足らず。和やかな楽しい同窓会にしたい。
出席者数、予算の事、座席の事、料理の事、受付や進行の事はては当日のお天気の事まで
気をもむ事はいっぱいあるが成功させたいです。

金柑ジャム

手作りの金柑ジャムを頂いた黄金色の滑らかな春らしい色を見てるだけでも楽しいがその味を早
く味わいたくなるのも人情というもの。固く閉ざしたその蓋を力いっぱい回した。
ほのかに香る金柑の香りがはじける。スプーンを持つ手ももどかしく一口。
舌の上で春が転がるようだ。パンに良し、ヨーグルトに良しとその人は教えてくれた。
作り方の手順は少ない。金柑を煮て皮と実に分け実の方は種を取り除き実、皮ともにフードプロセッサーにかける。
少し水分を足して再び加熱甘さを整えて出来上がりとか。
手順はこうだが、皮と実に分けたり種を取り除く作業は想像するだけでも根気がいる。
そんな大変な思いをして作ったジャムを惜しげもなく下さった。
お料理じょうずで手間を惜しまない、彼女の思いのこもったこの時期だけの金柑ジャム。
しばらく春の楽しみが増えた。ありがとう!!

2012年3月4日日曜日

訃報

同級生で東京在住のK君の訃報をきく。
来月開催の同窓会にも出席してくれることになっていたのに。
余りに突然の事なので落ち込んでしまいました。
昨年の高校の同窓会にも遠方にもかかわらず出席してくれ、楽しくカラオケを歌っていたのに。
この齢になると矢張り「生かされている」という思いが強くなってくる。
そして、明日が今日の延長線上にあるとは限らない、何時、何が起こるかわからないと言うことも。
今はK君のご冥福を祈りつつ、命に限りがあるという無常感でいっぱいです。