2018年5月27日日曜日

川柳の仲間

日高番傘会の友だちが誘って下さった食事会。
近所の居酒屋での集まり、ただお互いが近いという事で6人が集まった。焼き鳥などでお腹がいっぱいになて来た頃、句会の話になった。
互選があればいい、と言う事になった。少しお酒も入っているので意見も出やすい。
いつも披講だけで終わるのは物足りない

一句を互選用に投句して次の句会までにプリントしたの
を互選して得票数の多いのを発表する。(今月の秀作)として作者にその作品の背景などを解説してもらう。
筆跡が分らないようにパソコン打ちにしてプリントする。(一人の人にばかり負担にならないように持ち回りにする)

時事句も良しとする。
写真を見ての句もする。
などなど活発な意見交換ができ身に付く会になった。

明日主催者に報告に行くのは私です。
一夜の花といえば月見草もね。


2018年5月26日土曜日

運動会

孫の運動会に行った。
暑くもなく寒くもなく風もなく絶好の運動会日和である。
孫たちの演技は午前2回、午後2回である。
徒競争やリレーとプログラムは進んでいくがうちの孫がどの子やら見分けがつかない、皆同じ体操服だから。
やっと見つけた頃にはもうゴールなのだ。
全校生徒による綱引きも面白かった。いつの時代でも綱引きには観客も力が入る。
運動会の花形といえば組み体操だ。
5年と6年が合同でする。何時もダラダラの孫もこの時ばかりはキビキビと行動していた。
ふと五年間の小学校生活を振り返る。毎日見ていると何の変化もないようだが運動会や音楽の発表会を見るとその成長ぶりがよくわかる。
 組み体操はグループの心が一つになってないとうまく出来ないし危険さえ伴う、目の前でこうした演技を見ると感激する。
先生方のご苦労もうかがい知ることが出来る。
美味しいお弁当を頂き、見て応援してるだけなのに疲れた。
年なのかな?

2018年5月24日木曜日

桃子さんの生き方

墓参りを終えやがて正月が来る、そして春になる桃子さんは少しづつ体の衰えを感じ、終りが近づいていると知る。
故郷の八角山を思うとき信頼感と安心感がある。
おらがおらの裁量で生きるおめはただそこにある。何もしない。ただまぶるだけ。見守るだけ。それがうれしい。
自分の人生の生き方を見つける。
東北弁で引用したのは東北弁でないと表現できない言葉の深みや温かさが伝わりにくいと考えたからです。
三月三日孫のさやかが壊れた人形をなおして欲しいと尋ねてきた。
以前はなれていった直美の子供である。
「ママがおばあちゃんなら直せるって言ってたよ。
ママはコーフンすると東北弁になるんだよ。勉強さねばわがんねぇって」
さやかが二階へあがる。「おばあちゃん春のにおいだよ」
と言う声が心地よい。
と言うところで物語が終わる。
親から子へ孫へと、または夫から妻へと受け継がれていく命のありようが桃子さんを解放感へと導いた。
桃子さんはまさしく私と同世代、同じく夫が先に逝った。
体の不調もある、先々の不安もある、そっくり同じだ。
だからこそなのか分かりあえる気がして爽やかな後味の物語であった。


花の香り

今私は花の香りに包まれてうっとりしています。
今年も咲きました。月下美人です。
たった一夜の花、精いっぱい香ってます。
清純な白いその花に対して葉と言うか幹と言うかはあまりにみっともないのです。
寒さにはそれほど強くないのを知っていながらこの冬の寒さにもちょっとした軒下に置いといたものだから寒さに赤くなってしまいました。
おまけに幅広い葉はだらしなく思い思いの方向に垂れ下がってくるのを支柱を数本立ててやっとその平べったい体を支えているのです。
このところ思うように花の手入れをする間がなく気付くと大きなつぼみがいくつか付き夕方から開花し始めました。
急いで雨に濡れないよう玄関に入れました。
手入れをしなかったのにちゃんと咲いて偉いなぁと感心したりごめんねと謝ってみたりわたしって勝手ものですね。
一夜限りの花だからこそこんなにみずみずしいのか

今夜は夜更かししようと思う

2018年5月23日水曜日

そのまた続き

周造の死を悲しんでいるが喜んでいる自分もいると感じた桃子さん。喜んでいる心を底の底に隠し続けていたのが今浮上してきたのだ。

おらは独りで生きてみたかった、思い通りの我の力で生きてみたかった。それがおらだ。おらどいう人間だった。なんと業の深い人間なんだと思いつつもおらは自分を責めぬ。責めではなんね。周造はおらを独り生がせるために死んだ。周造のはがらい(はからい)なんだ。
これが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。
1人は淋しさが道連れの時もあるとその女性に言おうとしたが呑み込んだ。

独りがいい、独りは気がそろうとぶつくさ言う女は腰をかがめた後の自分であった。

そして桃子さんは新しい生き方を見つけたのだった。
脚は相変わらず痛む。しかしこの痛みを凌駕して余りある究極の安心を得た桃子さん。坂を登ったところに目指す亭主の墓があった。墓と一緒に空を仰ぎ遠くの海を見る。そして弁当を。
思いがけなく墓のそばに赤く熟れた カラスウリを見つけ独り笑う。この笑いはこみ上げる意欲だ。おらはまだ、おわっていない。と自分を発見する。

桃子さん続き

そうこうしているうちに先日からの足の痛みがぶり返す。
進もうか戻ろうか迷う桃子さん、まだ道のりは有る、しかし引き返す事は今までの桃子さんが中途半端に甘えで無理を避けてきた人生に似てると思い奮起する。
しかし痛みは引かない、ただ立てた目的を完遂したいという気持ちだけが支えだった。
程なく桃子さん、ここからが物語って自由に筋道を立てられるんだ、なんて思いながら読み進む。
桃子さんは夢か現か幻か子供の頃の自分と出会う、懐かしい父母や故郷の家。しばらくすると今度は少女時代、若き日の自分、そして中年の女性こそは現在の自分、淋しそうな何か言いたそうな、そのうち話し始める。低い声でやさしくしかし有無を言わせないような声が聞こえる。
溶け込みなさい、溶け込むんです。と。
この溶け込みなさいがどれほどの力で桃子さんに影響を与えたのかまだ私にはわからない。
続きを読んで衝撃をうける。
周造が死んで辛く耐えがたい時に、自由に生きろと内側から励ますものがあった。
そのときおらは喜んでいる自分の心を見つけてしまった。とある。
喜んでいる?理解しがたい私はこのところを何度も読み返した。

2018年5月20日日曜日

ただ今建設中

先日からツバメたちの様子がおかしい。
巣の中でずっと座っていたツバメが巣を留守にしていた。
私は巣の中がどうなったのか気になって仕方がない、しかしあまりに高いので中を覗き見ることが出来ない。
孵化しなかったのかカラスなんかに卵をとられたのか心配。
夜になると二羽が帰ってきている。
つい話しかける。「卵どうしたの?」って
翌日からそれまでより忙しそうに飛び交っている。
玄関の上に何やら黒いものが・・・
そうこうしている間にその黒い物の面積が広くなってきた。
どうやらそこに巣をつくり直すようだ。
そこでないといけないの?小さな棚をつけてはいるができたら元のとこへ作ってほしいのに。
彼らの勤勉さには驚くばかり、設計図も無いのに何となく巣の形になってきた。この前のは去年の巣をリフォームしたのだが今度は新築。卵を産むまでに完成しないとね。
玄関の敷居とその周りには小さなフンがぽつぽつ。
でも我慢するよ、君たちの熱心さには参ったです。
ただいまの進捗状況は既に90%。
頑張って!!と糞の事はまぁ置いといて今夜もお休みの言葉をかけました。

2018年5月13日日曜日

桃子さんの墓参り

桃子さんはバスという手段もあるがあえて小半日かけて夫周造の墓参りに行く。弁当持ちで。
数日前からの脚の痛みも無くすこぶるつきの絶好調で出かける。
道中素の自分を取り戻し一番輝いていた頃の自分を思い出す。満ち足りた幸せ、周造と結婚した頃、子供二人を抱え懸命に生きていた頃どれもが懐かしく温かく桃子さん珠玉の頃に笑みがこぼれる。

だけど、違う、桃子さんを根底から変えた周造を亡くしてからの数年こそ自分が一番輝いていた頃ではなかったかと気付く。
つらく悲しかったあの時が一番色濃く色彩をなしている。
悲しみは悲しみとして思い返せばあの当時にすぐ戻れる。
周造の声が聞けなくなった辛さ。
眠れない日が続いてこの先何も見えなくなったある日不意に周造の声が寝ろ寝ろと聞こえた。
何処から聞こえるのか、わからないまま桃子さんは自分の住む世界とは別に夫の住む世界があるはずで、子供を育て、夫を見送りなすべき事をやり遂げた今は自由に生きていいのだと思うのだった。
自分だけがノウノウと生きている事の負い目も一年ごとに薄れていくのは仕方ないこと、もう許されていいのだ。家族のために生きてきた桃子さんを解放へと導く。気付くために費やされた時間が桃子さんの生きた時間だった。

2018年5月10日木曜日

おらおらでひとりいぐも

覚えていますか?
「おらおらでひとりいぐも」呪文のようなタイトルの芥川賞受賞作、史上最年長でこの賞を獲得した63歳の新人。
文の多くにこのような東北弁が織り込まれていて私は紀州弁に翻訳しながら文字を追う事もしばしば、
 主人公は桃子さん、タイトルはおら.... だが文中ではすべて桃子さんである。どこかで客観的な誰かが物語を進行させているのだが、時には桃子さんが取って代わって彼女の心中を話している時もある。

で、3月16日のブログで桃子さん小半日をかけて歩いて亡き夫周造の墓参りに行く道中のところで中休みに入っている。
今、私も本を読み返してるとこ。

この道中で桃子さんは色々な悟りを開く。最愛の夫周造が一日も寝込むことなく逝ってしまったことを受け入れられない自分に翻弄されているが、ここで自身の生き方を見つけるのだった。がもう少し本文を咀嚼しないとうまく書けない、
数ヶ月前に読んだ本なのにあらすじは覚えていても薄っぺらい部分しか読めていないことに気付いた。
もう少し読みこんでみます。

2018年5月8日火曜日

雨の日

晴耕雨読って人生で無駄な日を過ごさないぞっていうみたいな勤勉って言うか教訓めいた四字熟語がありますね。
心が晴れている日はこの言葉を聞くと”いいね”をつけてみたくなるけどちょっと萎れている時この言葉に”ほっといて”と言いたくなる。
今日はちょっとほっといての日。雨は一日で充分なのに今日も雨、私、晴耕の方したいのにこんなじゃちっとも出来やしない。かといって雨読もこの雨じゃ気分が乗らない。

自治連合会に出席した、降りしきる雨の中車で乗せてもらったので濡れずにありがたかった。
吹矢の日でもあったので準備の手伝いだけをして自治連の方へ行く。受け付けを済ませたが前の方しか椅子が空いていない、最前列に座る。
会長の挨拶のあと来賓の挨拶がある。原稿をそのまま読む人や場所慣れした人もいるのを観察するのはちょっと面白い。

市長や市議会議長に市長様、議長様と様付けするのって変じゃない?なんてつい関係ないことをほじくり返す私の悪い癖、やはり偉い方には様をつけるのがいいのかな?
何事もなく経過報告や会計報告などが終わりました。
今年は防災について力が入っているようだ。
何やら重い物を頂く。中には洗剤の詰め合わせが。無駄にならないものはありがたい。
前年度の会長報酬や文書配布料なるものも。早速前会長に届ける。文書配布料は町内会の収入として会計に入金。
今年度会長になって何かと忙しかったがひとまずこれで区切りがついた。
順番で回ってきた会長だがやるべきことはきちんとして次年度に引き継ぎたいと思う。
雨はまだ降り続いてうんざりです。

雨読で思い出したが先日の芥川賞受賞作まだ残ってますよね
続きを書く予定です。うんざりしないで下さいね。

2018年5月5日土曜日

忘れ物

物忘れと忘れ物は違います。
忘れ物の話です。ふと、人生を歩んでいるうちに置き忘れてきたものを思い出す時ってありませんか?
真っ白な心や柔らかくしなやかな純真さなど何時置き忘れたのかわからないけど今の私には無いのです。
そして、取りに戻る事も出来ないのです。

なんてったって純白のブラウスやセーター今や憧れの色です。学生の頃は白い制服ちゃんと着てました。今じゃその白、私にとって禁断の白です、好きでもちっとも似合わないから。
これって真っ白な心失くしてしまったからだと思いこんでます。
いつから着られなくなったのか記憶に無いけどいつしか他人の欠点はすぐに見つける、自分のこと注意されたらいじけちゃうようになったせいです。きっと。ヤダネ。

だから白い花が好きです。やさしく風に吹かれてる花も好き。
この前自転車で走ってたら目に飛び込んできた花です。
携帯で写してしばらく見とれてました。
こんな時少しだけ失くした物を懐かしく感じます。
 夕暮れの淡い光の中でそこだけ
一段と明るく感じました 
クレマチスです


こちらは青い矢車草、緩やかな風に吹かれてのどかに揺れてました。
実家にも昔咲いてたので母の年を遥かに超えてるのに、その母を思い浮かべました。

バスで行ったよ

パソコンが直ってヤレヤレです。
気を取り直して続けますが、その間色々あり、何から書いたらいいのやら、とにかく3月4月は忙しかった。
とはいえ、まとまった何をしたというのでもないのにね。
 先日のバス旅行についても早くしないと記憶が薄れてきます。
そう、奈良四寺巡礼の旅、巡礼とは言え、観光気分でどの寺も花で有名なところです。牡丹、シャクナゲなど夕べの雨で少しうつむいてましたが心安らぐやさしい花々です。
厳しいのはその道のり、案内書にも書いてた通り歩きやすい靴、服装と。私なりに膝の注射、鎮痛剤、スニーカーそれに巡礼用の竹の杖も用意万全だったのに。
予想以上きつかったのはおそらく道ではなく私の膝の痛み具合だったのですが、
それでも安倍の文殊院、岡寺、室生寺、はお参り出来ました、殊に女人高野とも呼ばれる室生寺は中でも一番行きたかったお寺です。先の台風で傷んだ五重塔をぜひとも自分の目で拝観したかったので頑張りました。
そのため最後の長谷寺はわたし一人が門前で待っていました。明日からの自分の足を思うとやめなさいと心の声がささやいたからです。
足の痛みも治まったこの頃、しんどかったことなどすっかり忘れて仏像や仁王様など建立された時代に思いを馳せています。
あんな険しい所にお参りするだけでも大変なのに長くて太い柱や石材などどうして運んだのかそして建設の技術などの素晴らしさ、昔の人はえらいなあなんてね。
きつかっても思い出いっぱいのバス旅行こうして元気に参加できたことの幸せつくづくです。
大輪の牡丹
憧れの室生寺五重塔
室生寺仁王門
牡丹も雨宿り







2018年5月3日木曜日

直った!

先日、ダッシュボードが英語になった。
質問と検索で元に戻す方法を探すがわからない、一日経てば元に戻ってるかもの願いも虚しく、また検索の旅に出る。
そうこうしていると、なんとなく目にしたサイトが気になった。その人も同じような事が起きて困ったが解決したという。
何もしないのに元に戻ったと言うのだ。英文になった原因も分からず、またどうして元に戻ったのかもわからないと書いていた。
そして私もダッシュボードを開くとな、なんと懐かしい日本語表示になっているではないか、私も原因も解決方法もわからないままだ。嬉しいが何となく腑に落ちない。

パソコンもご機嫌を損なう日もあるとしか言えません。
そう言えば最近ご機嫌よろしくないことが多いような気がする。そっと優しく扱わねばならないのね。
また新しい投稿しますね。

2018年5月1日火曜日

困った

お久しぶりなのにまた困ってます。
このブログを書く時ダッシュボードというのを開いてするのですが、英語表記になっているのです。私の書く文は日本語でそこは良いのですが、その他のとこが英語です。
そこをなんとか日本語表示にしたいとかなり前から悩んでいます。設定のとこには日本語表記になっているのですが…
それに猫のキリ子がモニターの前に座って邪魔をしてます。
今夜はもうこれで置きます。
明日になればまた直ってるかもと期待をもって・・・