掃除サボって、おせちも作る気が湧きあがってこない。
裏庭で植え替えのため土を広げていく日もほったらかしにして乾燥したのが風に巻き上げられ裏から玄関前まで飛んできてゴミだらけ。
いけない、いけないこのままではとようやく片付け始める
スイッチが入れば何なく出来る掃除、窓ガラス、家の周りの見えるとこ、自転車3台、バイク1台ホースと洗車ブラシで出来上がり、自転車置き場もついでにデッキブラシでこすっとこ。そうだお墓の花も水が切れる頃だ。
矢張り、花筒の底にちょっぴりになっていた。
いつも堤防を走りながら思うの、走ればすぐなのになぜ腰が重いのって。
煮物を作ろうと思うが二日までは一人の正月なので気乗りがしない。材料は揃っているがまだどうしようかと揺れている。
店をしている頃の事思い出した。よくはやっている頃の事だ。大晦日と言えども紅白を見る間もない。
それでもおもちをつきお煮しめを炊き雑煮を作る。
夜が遅くなるので元旦に早起きして色々煮たものだ。
その頃は家族も多く、帰省する弟家族も加わった。
今思えばよく出来たね、若くて元気あったね。
今はこの体たらく。
思い出が今の私には苦く感じます。
2017年12月30日土曜日
今年の反省
今年もいよいよおし詰まってきました。
テレビでは今年を振り返ってとか話題になったニュースの特番を流している。おかげで忖度を漢字で書けるようになった
ずい分悪者使いされた忖度だけど気遣いと解釈したらどうだろう。
忖度なしの生活はかえってぎくしゃくして味気ない。
相手を思いやる心無しでは社会生活は成り立たない。
何事も程合いが大切、心がホッとする忖度なら結構なことだ。
話題がそれてしまいました。この一年間の感謝を書くつもりだったのに。
みんなに支えられてこのブログも一年を締めくくることが出来そうです。川柳とスポーツ吹矢が増えた老後はそれなりに忙しいのも薬だと思っています。出来なかったことの一つに読書があります。今年も「人生論ノート」読めませんでしたが、幸福についてとか論じなくても私、身の丈に合った幸福感じているからこれでいいのではと思ってます。
それに永遠のテーマのダイエット無理でした。反省するのはたやすいけど実行するのはと~~~っても難しい。
出来ても出来なくても年は明けます。
今年一年本当にみなさま、お世話になりましてありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
どなた様もよいお正月をお迎えください♪
テレビでは今年を振り返ってとか話題になったニュースの特番を流している。おかげで忖度を漢字で書けるようになった
ずい分悪者使いされた忖度だけど気遣いと解釈したらどうだろう。
忖度なしの生活はかえってぎくしゃくして味気ない。
相手を思いやる心無しでは社会生活は成り立たない。
何事も程合いが大切、心がホッとする忖度なら結構なことだ。
話題がそれてしまいました。この一年間の感謝を書くつもりだったのに。
みんなに支えられてこのブログも一年を締めくくることが出来そうです。川柳とスポーツ吹矢が増えた老後はそれなりに忙しいのも薬だと思っています。出来なかったことの一つに読書があります。今年も「人生論ノート」読めませんでしたが、幸福についてとか論じなくても私、身の丈に合った幸福感じているからこれでいいのではと思ってます。
それに永遠のテーマのダイエット無理でした。反省するのはたやすいけど実行するのはと~~~っても難しい。
出来ても出来なくても年は明けます。
今年一年本当にみなさま、お世話になりましてありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
どなた様もよいお正月をお迎えください♪
| 大掃除はしなくてもお正月は来ます |
2017年12月25日月曜日
今年の事
しばらくこの欄休んでしまいました。
年賀状もやっと仕上げ、何となくほっとしています。
ご無沙汰ばかりの方々のお顔を思い浮かべながら作りました。毎年、早くと思っていても新年を迎えるギリギリまで出来てなく焦ってばかりでしたが私にしてはなかなかの進歩。
「あれこれを端折っても来る大晦日」
12月の句会に切羽詰まって作った川柳、私の心境です。
こう寒くなっては大掃除もままならずやめとこ、あれもこれもまあ、明日でもええわ、とか思いながら日が経ち新年を迎えることになるずぼらな性格そのままです。
私の一年振り返っても大きな変化がないのが身の丈にあった幸せです。それなりに病気もせず家族仲よく、友達に恵まれこれ以上望むのは罰あたりでしょう。
そんな毎日の中でスポーツ吹矢の会に入った事、あちこちへ連れて行ってもらったこと、翌日まで笑いじわが取れない程みんなとしゃべって笑ったことなどなどミニ幸せ数えればきりがありません。
買ってもないのに宝くじ当たる幸せもいいけど大金手にしても使い方わからないし、小さな幸せがいっぱいの方が心満たされそうだなって、こんなに太っているのに半分はやせ我慢してるのです。
年賀状もやっと仕上げ、何となくほっとしています。
ご無沙汰ばかりの方々のお顔を思い浮かべながら作りました。毎年、早くと思っていても新年を迎えるギリギリまで出来てなく焦ってばかりでしたが私にしてはなかなかの進歩。
「あれこれを端折っても来る大晦日」
12月の句会に切羽詰まって作った川柳、私の心境です。
こう寒くなっては大掃除もままならずやめとこ、あれもこれもまあ、明日でもええわ、とか思いながら日が経ち新年を迎えることになるずぼらな性格そのままです。
私の一年振り返っても大きな変化がないのが身の丈にあった幸せです。それなりに病気もせず家族仲よく、友達に恵まれこれ以上望むのは罰あたりでしょう。
そんな毎日の中でスポーツ吹矢の会に入った事、あちこちへ連れて行ってもらったこと、翌日まで笑いじわが取れない程みんなとしゃべって笑ったことなどなどミニ幸せ数えればきりがありません。
買ってもないのに宝くじ当たる幸せもいいけど大金手にしても使い方わからないし、小さな幸せがいっぱいの方が心満たされそうだなって、こんなに太っているのに半分はやせ我慢してるのです。
2017年12月15日金曜日
得るもの 失うもの
「OK グーグル スマホ鳴らして!」と呼びかけるとすぐさま置き場所を忘れたスマホが呼び出し音を鳴らして「あった♪」というCMが流れる。
その値段ももはや庶民の手に到底届かないというのではなく今にそれこそ一家に一台という日が遠くないことを物語っている。
聴きたい音楽、ニュース、など音声で呼びかければそれこそ何時でもOKで拒否という言葉が不要な繋がりたい時だけ呼び出せばいい都合のよい友達関係みたいなのができあがる。
時々、これでいいの?と思うのは年寄りの冷や水っていうやつか。
医院の待合室では腰かけると同時にスマホを手にする人が多い。以前は「あんた、どこ悪いんよぅ」とよく話しかけられたものだ。その頃は個人情報という垣根もあったもんじゃなく「他人の病状きいてどうすんのよ!」と思ったこともあった。
そんな煩わしさも無くなりみんな自分の世界に浸っているようだ。
体は待合室だが自分の世界に入ってしまった人はそこにはいない、話しかけることもはばかる。
それでみんな名前を読んでくれるまで黙りこくっている。
顔と顔を合わせて会話するのが苦手な人がでてきてもおかしくない。
しかし、人と人の繋がりはOKばかりでなくNOもある事を経験しておかないときっと困るだろう。
私にはいつでも話し合える友だちに恵まれている。
小さな困りごと、体の不調など聴いてもらうだけで気が楽になる、私にはその便利な機器が必要になるのはまだまだ先の話である。
その便利さを得た時手放すものもあるような気がするのです
その値段ももはや庶民の手に到底届かないというのではなく今にそれこそ一家に一台という日が遠くないことを物語っている。
聴きたい音楽、ニュース、など音声で呼びかければそれこそ何時でもOKで拒否という言葉が不要な繋がりたい時だけ呼び出せばいい都合のよい友達関係みたいなのができあがる。
時々、これでいいの?と思うのは年寄りの冷や水っていうやつか。
医院の待合室では腰かけると同時にスマホを手にする人が多い。以前は「あんた、どこ悪いんよぅ」とよく話しかけられたものだ。その頃は個人情報という垣根もあったもんじゃなく「他人の病状きいてどうすんのよ!」と思ったこともあった。
そんな煩わしさも無くなりみんな自分の世界に浸っているようだ。
体は待合室だが自分の世界に入ってしまった人はそこにはいない、話しかけることもはばかる。
それでみんな名前を読んでくれるまで黙りこくっている。
顔と顔を合わせて会話するのが苦手な人がでてきてもおかしくない。
しかし、人と人の繋がりはOKばかりでなくNOもある事を経験しておかないときっと困るだろう。
私にはいつでも話し合える友だちに恵まれている。
小さな困りごと、体の不調など聴いてもらうだけで気が楽になる、私にはその便利な機器が必要になるのはまだまだ先の話である。
その便利さを得た時手放すものもあるような気がするのです
2017年12月13日水曜日
はまぼう学園発表会
「市民はまぼう学園」の発表会がありました。
以前は「老人大学」と呼ばれてました。そう言えば、老人会は老人クラブと名称が変わってます。
その学園の方々の一年間の集大成の発表会です。
15のクラブがあり、手芸、短歌、農園、陶芸、生け花、書道、ぬり絵などの展示があり他に日舞、ダンス、大正琴、歌謡やコーラスが舞台での発表なのです。知人も出てます。
作品にしろ、歌や踊りにしろ、老人とは思えないような若い気持ちにあふれています。
だって、今年のテーマは「高齢者パワーで みなぎる若さ」なんですって!
高齢者と言ってもひとくくりで高齢者とは言えない、いえ、見えない人達が多いですもの。お土産に頑張る力をもらった気がしました。
以前は「老人大学」と呼ばれてました。そう言えば、老人会は老人クラブと名称が変わってます。
その学園の方々の一年間の集大成の発表会です。
15のクラブがあり、手芸、短歌、農園、陶芸、生け花、書道、ぬり絵などの展示があり他に日舞、ダンス、大正琴、歌謡やコーラスが舞台での発表なのです。知人も出てます。
作品にしろ、歌や踊りにしろ、老人とは思えないような若い気持ちにあふれています。
だって、今年のテーマは「高齢者パワーで みなぎる若さ」なんですって!
高齢者と言ってもひとくくりで高齢者とは言えない、いえ、見えない人達が多いですもの。お土産に頑張る力をもらった気がしました。
大人の会話
先日整形の病院へ行ったときです。
時雨降りやまずという寒さにもかかわらず患者さんが何人も待っています。
私の後ろの席に老夫婦が坐って話してます。聞き耳立てなくても自然と聞こえてくるのです。どうやら診てもらうのは男性の方、「長いこと待たなならんなぁ」「そりゃしょうないで」……「あ、あの人脚悪りんやな、おっきな包帯してる」「そやな、あ、腰見てん、あんなん巻いてる。あれは高いらしいで」と二人の会話が続くが、耳の聞こえがよくないのかいつしかトンチンカンな返事してる。でも不思議なことにお互いにかみ合わない会話にいらだったりせず、そのうちまた、テンポのあった会話に戻ったりしている。これぞ熟年夫婦の卓越した会話力なのだろう。いちいち怒ったり大きな声で怒鳴ったりでは身が持たないだろう。
そしてやっと診察の順番が回ってきて二人で診察室へ入っていった。これが大人の会話なのでしょう。時々あいまいな会話もお互いに受け入れている。少し羨ましいご夫婦でした。
時雨降りやまずという寒さにもかかわらず患者さんが何人も待っています。
私の後ろの席に老夫婦が坐って話してます。聞き耳立てなくても自然と聞こえてくるのです。どうやら診てもらうのは男性の方、「長いこと待たなならんなぁ」「そりゃしょうないで」……「あ、あの人脚悪りんやな、おっきな包帯してる」「そやな、あ、腰見てん、あんなん巻いてる。あれは高いらしいで」と二人の会話が続くが、耳の聞こえがよくないのかいつしかトンチンカンな返事してる。でも不思議なことにお互いにかみ合わない会話にいらだったりせず、そのうちまた、テンポのあった会話に戻ったりしている。これぞ熟年夫婦の卓越した会話力なのだろう。いちいち怒ったり大きな声で怒鳴ったりでは身が持たないだろう。
そしてやっと診察の順番が回ってきて二人で診察室へ入っていった。これが大人の会話なのでしょう。時々あいまいな会話もお互いに受け入れている。少し羨ましいご夫婦でした。
2017年12月8日金曜日
年女?
来年は戌年なので私は年女という事です。
ついこの間還暦だった気がするのにもう暦は一回りしたのです。
犬ってなかなかお利口で芸達者なのに私は亥年うまれじゃないかと思う。
同時にあれこれと物事をこなすのは大の苦手、一つの事にスイッチが入ると他の事は目に入らず、それでいて飽きっぽい、こだわる割に何をしても出来栄えはイマイチ。
猪が気を悪くしてるかもしれませんが・・・
先日も裏の花の植え替えや枯れ葉の整理をしていてやめときゃよかったのについ夜の10時前まで頑張ってへとへとになり朝は起きられなかったのです。後少し残っているがもう熱が覚めたというかしんどさが後を引いてる感じ。自分につくづくアホやなと言いました。
そんなこんなでブログの更新遅れがちです。
お詫びいたします。そしていつも読んで下さりありがとうございます。
ついこの間還暦だった気がするのにもう暦は一回りしたのです。
犬ってなかなかお利口で芸達者なのに私は亥年うまれじゃないかと思う。
同時にあれこれと物事をこなすのは大の苦手、一つの事にスイッチが入ると他の事は目に入らず、それでいて飽きっぽい、こだわる割に何をしても出来栄えはイマイチ。
猪が気を悪くしてるかもしれませんが・・・
先日も裏の花の植え替えや枯れ葉の整理をしていてやめときゃよかったのについ夜の10時前まで頑張ってへとへとになり朝は起きられなかったのです。後少し残っているがもう熱が覚めたというかしんどさが後を引いてる感じ。自分につくづくアホやなと言いました。
そんなこんなでブログの更新遅れがちです。
お詫びいたします。そしていつも読んで下さりありがとうございます。
2017年12月6日水曜日
年賀状
年賀状のデザインをどうしようかと迷っている。
あれやこれやと沢山の中から選び放題なのだが迷いに迷っている。
こんな構図も毎年の事、最後はエイヤッといくつかに絞った中から勢いで決めるのだ。
意気込んでソフトを使わないで仕上げた年もあったがデザイナーの手による色使いや細やかな組み合わせには到底かなわない、結局見栄えの良い出来上がったのを使わせてもらうことになる。
ただ、一言添え書きをするようにしている。本当はここだけでも手書きがよいのだろうが、私の文字はせっかくのデザインを台無しにしてしまう。
だからここもパソコン打ちになってしまう。
一年の締めくくり、近況報告を兼ねて日頃のご無沙汰をお詫びするのだが、作成しながら自分の一年を振り返るよい機会でもある。
あれやこれやと沢山の中から選び放題なのだが迷いに迷っている。
こんな構図も毎年の事、最後はエイヤッといくつかに絞った中から勢いで決めるのだ。
意気込んでソフトを使わないで仕上げた年もあったがデザイナーの手による色使いや細やかな組み合わせには到底かなわない、結局見栄えの良い出来上がったのを使わせてもらうことになる。
ただ、一言添え書きをするようにしている。本当はここだけでも手書きがよいのだろうが、私の文字はせっかくのデザインを台無しにしてしまう。
だからここもパソコン打ちになってしまう。
一年の締めくくり、近況報告を兼ねて日頃のご無沙汰をお詫びするのだが、作成しながら自分の一年を振り返るよい機会でもある。
2017年12月1日金曜日
いよいよ師走です
いよいよ師走に突入です。
師走といえば年賀状、毎年ギリギリまで書かないでいて四苦八苦するものだから今年こそはと何年思い続けただろう。
毎年同じことを思っているのにちっとも学習能力がないと年末に反省するばかりです。
さて、今年こそは!なのだ。郵便局のはがきデザインキット。筆ぐるめ、古いままだけど筆まめがそろい踏みです。
これで、年末にオタオタしてるようなこっちゃ救いようがない。
新しいお付き合いが始まった方々にはもうこの歳なので、失礼して以前からの方々に出します。
それに欠礼のはがきが何枚か届いているので段々とその枚数も少なくなってきています。
虚礼だとか云われてますが、遠くの方や滅多にお逢いしない方に近況報告のつもりです。
年に一度だけの事なのでどうするのかを忘れてしまってる。
暇さえあれば今日はここに座って遊んでます。
色々な楽しい機能が付いているかと思えば使えない機能もある。(イヤ、使えるが私がよう使わないのかも)はがきにあれもこれもと書いたりスタンプやテープを引いてみたり、キラキラの模様を描いてみたり、遊びすぎて今年も結局押し詰まるまで作成出来ないような気がする。
師走といえば年賀状、毎年ギリギリまで書かないでいて四苦八苦するものだから今年こそはと何年思い続けただろう。
毎年同じことを思っているのにちっとも学習能力がないと年末に反省するばかりです。
さて、今年こそは!なのだ。郵便局のはがきデザインキット。筆ぐるめ、古いままだけど筆まめがそろい踏みです。
これで、年末にオタオタしてるようなこっちゃ救いようがない。
新しいお付き合いが始まった方々にはもうこの歳なので、失礼して以前からの方々に出します。
それに欠礼のはがきが何枚か届いているので段々とその枚数も少なくなってきています。
虚礼だとか云われてますが、遠くの方や滅多にお逢いしない方に近況報告のつもりです。
年に一度だけの事なのでどうするのかを忘れてしまってる。
暇さえあれば今日はここに座って遊んでます。
色々な楽しい機能が付いているかと思えば使えない機能もある。(イヤ、使えるが私がよう使わないのかも)はがきにあれもこれもと書いたりスタンプやテープを引いてみたり、キラキラの模様を描いてみたり、遊びすぎて今年も結局押し詰まるまで作成出来ないような気がする。
卒塔婆小町
六歌仙のただ一人の女性で絶世の美女としても知られている小野小町の舞踊をTVで見る。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
小町の老後は憐れにも物乞いになってしまっていた。舞台花道からやせて白髪混じり、破れ網代笠を手に杖にすがるように疲れた様子で登場する。
舞台上手には高野山からの僧が同じく休憩中、小町が腰かけたそこは卒塔婆で古くとも仏体だから他の場所へ移りなさいと意見するが、一言一言に反論し「物体も衆生も隔たりはない」と説き砕く。僧は説法を敬い名を聞き小野小町と知る。
失った若い頃の優雅さを嘆きしばらく己が身の憐れを嘆いていたが、音曲の調べが急に変わると突然小町の様子も変わる。「小町の元へ通おう」と言い出す。不審に思った僧が 問うと深草少将の怨念が小町に憑いたものであった。
当時女性は家から外出などしないので男女の仲を結ぶ術は和歌か文くらいであった。美しい文字、美しい言葉、秀でた和歌が詠める女性が教養のある素晴らしい人だと評価されたそうだ。そしてその女性に恋をする。
深草の少将もそんな一人であった。小町は百夜通い続けたなら思いをうけると約束する。
嘘とは知らず月の夜も闇の夜も風や雪の夜も暁に着きそのまま帰る。帰ってはまた行く。遂に九十九夜の日念願叶うと喜び出かけるが疲れと寒さで息絶えた。そして僧は道端に咲く菊の花を手向け「仏門に入ろうな」と 小町に呼びかけると小町がうなずくところで幕が下りる。
せつない話である.
今の世ならば社会保障もあり、通信手段も色々あるが当時はそんなものがなかった時代。物乞いまでの零落ぶりとは…
しかしその衣装や身のこなしの端々に昔の教養高さと暮らしぶりが垣間見える。
衣装は濃い茶色に細い縞が織りこまれている。柄は風にそよぐすすきが配されて五つ紋、帯は無地の銀ねず,帯締を低くして老婆を表現しているのであろうか。指の動きに品のよさが醸し出され、小町のきっぱりとした性格もあらわれている。
久し振りに見た舞踊だが最後まで目が離されなかった。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
小町の老後は憐れにも物乞いになってしまっていた。舞台花道からやせて白髪混じり、破れ網代笠を手に杖にすがるように疲れた様子で登場する。
舞台上手には高野山からの僧が同じく休憩中、小町が腰かけたそこは卒塔婆で古くとも仏体だから他の場所へ移りなさいと意見するが、一言一言に反論し「物体も衆生も隔たりはない」と説き砕く。僧は説法を敬い名を聞き小野小町と知る。
失った若い頃の優雅さを嘆きしばらく己が身の憐れを嘆いていたが、音曲の調べが急に変わると突然小町の様子も変わる。「小町の元へ通おう」と言い出す。不審に思った僧が 問うと深草少将の怨念が小町に憑いたものであった。
当時女性は家から外出などしないので男女の仲を結ぶ術は和歌か文くらいであった。美しい文字、美しい言葉、秀でた和歌が詠める女性が教養のある素晴らしい人だと評価されたそうだ。そしてその女性に恋をする。
深草の少将もそんな一人であった。小町は百夜通い続けたなら思いをうけると約束する。
嘘とは知らず月の夜も闇の夜も風や雪の夜も暁に着きそのまま帰る。帰ってはまた行く。遂に九十九夜の日念願叶うと喜び出かけるが疲れと寒さで息絶えた。そして僧は道端に咲く菊の花を手向け「仏門に入ろうな」と 小町に呼びかけると小町がうなずくところで幕が下りる。
せつない話である.
今の世ならば社会保障もあり、通信手段も色々あるが当時はそんなものがなかった時代。物乞いまでの零落ぶりとは…
しかしその衣装や身のこなしの端々に昔の教養高さと暮らしぶりが垣間見える。
衣装は濃い茶色に細い縞が織りこまれている。柄は風にそよぐすすきが配されて五つ紋、帯は無地の銀ねず,帯締を低くして老婆を表現しているのであろうか。指の動きに品のよさが醸し出され、小町のきっぱりとした性格もあらわれている。
久し振りに見た舞踊だが最後まで目が離されなかった。
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