2012年4月30日月曜日

追悼

明日は義弟の三回忌。
夫より1年先に逝ってしまった人。
その妻、つまり私とは「相嫁」である。彼女は生前の義弟とは傍目にも仲の良いおしどり夫婦
であった。
それ故思い出すことのひとつひとつが懐かしくて切なくてなかなか立ち直れないでいた。
「うちで居てても思い出すことばかりだから」とようやく友人とランチやショッピングに出掛けられるようになった。
やはり時間だけが悲しみを希釈してくれるのであろう。
お互いに夫に先立たれた身、以前よりも更に気持ちが通じあう。
私たちが疎遠になってしまったら夫たち兄弟の繋がりも弱くなってしまう。
「なかよくしているよ」って仏前に報告して来よう。
法事は追悼と心を立て直す為の日なのだ。

2012年4月26日木曜日

啄木と節子

石川啄木の妻節子の一人芝居を鑑賞した。
ご存じ一握の砂、悲しき玩具などの著者の啄木を愛と忍耐でその生涯を支えた節子の物語。
愛があっても金がない。貧困は病を呼び、家庭を不和に陥れるという負のスパイラル。
明治女の強さで彼を支えるのだが、これほどまでに忍耐強く愛に一途になれたのは節子ならではであろう。
一方啄木は私の心に長年棲みついていた彼のイメージとは程遠いものとなってしまった。
「はたらけど はたらけど・・・」や「ふるさとの訛り懐かし・・・」が彼のすべてだと思い込んでいた。
一生懸命働いても少しも暮らしは良くならず、帰るに帰れぬ故郷をなつかしむ芸術や文学の世界によくある清貧の苦労人と認識していたのである。
しかし、啄木の事をもっと知りたくて調べてみたら、中学を中途退学したのは二度のカンニングがばれたので自主退学しただの単身東京暮らしをした時も遊び呆けていただのを目にした時、教科書でよくみる真面目そのものという顔で映っている写真からは想像できず、
抱いていたイメージが音を立てて崩れ落ちるのを感じた。
しかし、そんな彼にも節子の他に金銭面で支えてくれた人物がいた。自分の蔵書を売ってまでも用立ててくれたり、薬代やお見舞いの金子を送ってくれたりしている。
今の時代ならそんな人物が出現していただろうか。
また彼の病気も今の時代ならどうだろう。
医学の進歩により病気は恢復し、自身の短歌が世間でうけ入れられ成功をその目で確かめられたのではと思う。
いずれにせよ二人の命がもう少し長ければまた陽の目を見ることが出来ただろうに。

2012年4月15日日曜日

逢いたかった。逢いたかった ♫ ♪

今日はいよいよその日が来た。
卒業して五十年の歳月が流れる。なんと半世紀だ。
受付のところですでに再会のよろこびを交わしている友がいる。
思い出せない人もいるが大抵は昔の面影携えながら半世紀の人生を重ねた良いお顔で
来てくれている。
遠くから来てくれて、ありがとう。忙しい時間を割いて来てくれてありがとう。
先生方もお若い、とにかくお元気でこんなふうに元気でいたいと新しい目標が出来た。
昨日のことのようあれこれ思い出す。なごやかな雰囲気でいつしか学生気分に戻っている。
あちこちで話の輪ができ、近況や思い出の花が咲いている。
私の拙い 司会もみんなの楽しい会話がフォロー してくれてつつがなく終了!
二次会はカラオケで存分に弾けて同級生ならではの気安さで歌い踊り時間が経つのも
忘れてしまうほど。
同級生ってどうしてこんなに遠慮や余計な気遣いをしないで打解ける事ができるのだろう 。
前回から15年も経っているというのに・・・
今日の日を喜んでくださった。それだけで疲れもきえてしまう。
それにしても、会計の方、写真係の方、進行の要になって下さった方々は食事をする間も
なかったのでは?
本当に有難うございました。そしてお疲れ様でした。
次回は3年後です。

  

2012年4月14日土曜日

ラ・カンパネラ

PCいじってたら辻井伸行さんのラ・カンパネラがあった。
私はフジコ・ヘミングさんのしか聴いたことが無い。
いっしょだろうと聴いてみて驚いた。彼のは細かい音が弾けるようにまさに若さがあふれんばかり
川の流れに例えるならば上流のせせらぎの木漏れ日に反射して弾けて煌めく水のイメージ。
一方、フジコさんはたゆとう流れ、人生の重みをそのままに表現したかのような
豊かな含みのある音色だ。
キーのタッチ、指の動きも明らかに違う。
この違いはホールの音響とかピアノの個性でも無いのだろう。
クラシックに詳しいわけでも音にうるさいわけでもない私がパソコンに小さなおもちゃみたいな
スピーカーをつないだだけの音源である。
それでこんなに違いが出るというのだから生で聴いたらどんなだろうと思ってみた。
でも、よく考えてみたらお二人が同じホールで同じ曲を弾くなんてありえへんのだった。
その点PCはありがたい。いつでも何度でも聴かせてくれるんやから。

とうとう、明日だ!!

とうとう、明日に迫った。ここ1ヶ月ほどはいつも頭の片隅に同窓会の事が大きくなったり小さくなったりしていたが今はもう明日を迎えるだけだ。
大役の司会のシナリオもちゃんと用意してくれているのでありがたい。
ここまでしてもらってしどろもどろしては申し訳ない、何度か読み返してみる。自分に「大丈夫か?」
と問うてみたり、「開き直れ」と言ってみたりするが、根気がない事はなはだしい。
明日はお天気も良さそう、懐かしい顔に逢えるかな?
遠方から来てくれる方たちは余計ありがたい。
地元の私たちが少しばかりお手伝いして、会を盛り上げたいと思ってる。
参加者は増えたり減ったりしたが、79名で落ち着きそう。
話の花束いっぱい咲くといい。

2012年4月11日水曜日

ゆく春

TVは低気圧が近づいているので桜は今日が最後になるかもと言うている。
まだ今年の桜、見てないではないか。
一人道成寺へ向かう。
すでに見ごろは過ぎてはらはらと散りゆく様は舞台の演出のようだ。
美しさは勿論の事散り際、花のみじかさが潔さに結びつき最も日本人に愛される花のひとつである。
これを見ない年は何か忘れ物をしたような損をしたような気がするのだ。
さくらの品種はどの位あるのだろう、お馴染みのソメイヨシノの他八重咲や枝垂れ咲き、色もハッとする位真っ白なのや緑がかったのや控えめにひっそり咲くのもある。
どれが良い?と尋ねられても答えが出ない。
それぞれが一番うつくしい。見る人が居ても居なくても短い春を彩り散っていくのだ。
私たちはその一瞬を楽しませて貰えるのはなんて幸せな事なんだろう。


2012年4月10日火曜日

一周忌

昨日、夫の一周忌の法要を済ませた。
あれこれと在りし日の事が思い出される。
病室で交わした会話のあれこれが結婚生活四十数年を凝縮したような重みのあるものだったと今更ながら感じている。
もっともその当時は私の心身共の疲労が、愚痴になったり優しく出来なかったりでその大切な日々の
ありがたさを充分に受け止められなかったが。
そして、この一年はあわただしく過ぎ去った。今日からは現実を見据えて日々を重ねて行こう。
まずは、あと数日後に迫った同窓会が盛会でありますように。
気になるお天気、卒業以来の人たち、懐かしいなぁ。元気な顔に逢えますように。

2012年4月7日土曜日

お地蔵様

君は知っているだろうか?
「茶免の地蔵さん」を。
かわいらしい祠に鎮座され子供たちの安全と健やかな成長を見守ってくれている。
いつも真新しい花が手向けられているのは地域の方々が中心になってお世話されているのでは。
大きないちょうは樹齢何百年かしら、私が子供の時からほとんど同じ大きさに思う。
そのお地蔵さんがそばの下川(したがわ)の拡幅工事の為移転されるという。
今日はその移転の日だったのか祠ごと無くなっていた。
そばには、すべての枝を払われて幹だけになってしまった、大銀杏が取り残されていた。
2~300メートル南へいったところらしい。あるはずの所に有るべきものが無くなるのは何とも
淋しいものだ。そして、イチョウはどうなるのだろう?
新しい場所に移っても子供たちを見守ってくださいね。

2012年4月5日木曜日

読みたい

今、読んでみたい本は水村 美苗さんの「母の遺産ー新聞小説」
終末医療と介護、家族そして倫理に直面する切実な問題をこの小説は正面から向き合う。
とある。
早速、図書館の蔵書を検索してみたがまだ無い。(私は、大抵のものは図書館)
 
夫の闘病中、その傍らで私は生き長らえることは良い事なん?と何度も何度も自問自答した。
著者の想いはどうなんだろうと確かめたい気持ちがあるから。
そして、「生と死」の線引きはどこにあるのだろう。
意識は無くただ、モニターに映る不規則な心電図、そして体温だけが生身の体であることを主張し続ける夫の最期の時を迎えた時
私はドクターに「これが脳死の状態ですか?」と問うと「そうです」と答えてくれた。
あれ以来やはり私のなかで「死」は心電図が横一直線になった時と思っている。


2012年4月3日火曜日

卒寿

90歳のことを卒寿というそうだ。卆すなわち90歳と教わった事がある。
御年90歳でブログを2本立てで書いておられるかたがいる。
86歳のころから拝見しているがいつも穏やか。
高校の先生をされていたので教え子たちが毎年のように同窓会を開いて招待してくれるというのだ。
誕生日の4月1日に合わせて今年も30人の教え子に囲まれたそうだ。
なんて幸せなことだ。先生も生徒も。生徒と言ってもすでに人生の山坂越えて来られたようなお歳とお見受けするがその写真の若い事!
ながい年月を経て今もなお先生と生徒の交流があるなんて。すてき。
これぞ先生冥利に尽きるというものだろう。
私たちの同窓会も負けずに元気に開催したい。新たな目標が出来た。元気出た。