2015年6月29日月曜日

やったね!!

先に巣立ちの子たちは、お母さんに言われたのかみんなで巣のまわりをひらひらと飛び回りなんとか気弱な子を誘い出そうと一生懸命です。 
私ここまで 、部屋の中から鏡に映るツバメの観察してたけど、待ちくたびれて他のことをしてました。
主婦はいっぱい仕事があります。そっちの方に気が向いていてふと気がつくと鳴き声が聞こえません。
巣には誰もいなくなってました。やっとあの子も外の世界へ羽ばたいたのです。見たかった!!その瞬間を!

見られなかったのは残念だけどみんなと同じことが出来るようになったのです。
梅雨とは思えぬ澄み切った空気で晴れわたっています。

よく頑張ったね!!初めてみる空はどんな気分??
それにしても親ツバメが根気よく手を変え、品変えて巣立ちさせるなんて偉いね。
夜にはまたこの巣に戻るのでしょうか ?

うれしくって現場報告しています。

巣立ち

今朝の子ツバメたちは成長につれて狭くなった巣の中で
ぬれ羽色というのがぴったりの黒い翼を広げたり羽ばたかせてみたり思い思いの動きをしています。
それが今日の巣立ちの為の“ウォーミングアップ”であったことは私、露知らず、先ほど巣の中には三羽しかいませんでした。
そうこうしているうちにたった一羽が巣に残っています。


どう見ても他の子たちより体格が小さいです。
一人ぼっちになったさみしさと心細さからピチュ!ピチュ!と鳴いてます。
体の小さい少し弱々しい子が特に気になるのは人間もツバメにも共通しているらしく、その子に餌を運んでくる合間に巣立ちを促すかのように羽ばたいたり飛んでみせたりとしていますが、子はなかなか思い切れそうもありません。
それどころか、大口を開けて餌をねだっています。
今日の巣立ちは無理なのかしら?こんなにいいお天気なのに、明日はまた雨が降るんだよ、
って私も声援するのですが・・・
一歩を踏み出すってむつかしくて勇気のいることよね。
 巣の縁に立ってパタパタってやってひざ?をかがめてもう飛び立つかって姿勢をしても又踏みとどまる。
巣の外の電線には先の子たちが早くおいでと呼びかけていますが、尻込みするばかり、私は気になって仕事になりません。

2015年6月28日日曜日

横山 弘さん

「編集手帳」を見て知ったのだが、作詞家の横山 弘さんが88歳で亡くなった、とあった。その方のことは今日まで知らなかったのだが、あざみの歌、哀愁列車、下町の太陽、などを作詞されたのだそうだ。
歌はどれも歌詞カードが無くても歌えそうなくらいなじみ深いのに
作詞家がどんな方か知らなかった。
素人の私が言うのは甚だおこがましいが、特に哀愁列車ではイントロが始まるとすでにせつなさが伝わってくる。
「旅をせかせる ベルの音 、未練心につまづいて、窓はふたりを遠くする、」このフレーズにはゾクゾクさせられる。
擬人化と言うほどはっきりとさせず、しかしベルの音も、汽車の窓も生きていて意思があるかのようではないか。
一言でその情景が伝わり、色々な想いさえも膨らんでいく表現力がほんのちょっぴりでも身に付けば、少しはもどかしい想いをしなくて済むのではと考えながら(あざみの歌)に聴きいっています。

2015年6月24日水曜日

ツバメの子

我が家のツバメの子は3羽と思っていたのが5羽もいました。
はじめはくちばしを巣のまわりに並べたようにしておやどりの運んでくる餌をねだっていたが、しばらくすると頭が見えるようになり、脚がしっかりしてきたのか顔全体が見えるようになった。

灰色の綿毛に包まれた頭が並ぶ姿はまだまだかわいいとは言えない言わば保護色に守られているよう。日毎に餌をねだる鳴き声は大きくなり今ではうるさいほど。
親ツバメが持ち帰る餌を自分のくちばしに入れてもらおうとそれはそれは身を乗り出してアピールしている。

そんな5兄弟にもどうやら個性があるらしく、いつもセンターはひと際体格の良い子、餌をもらえるチャンスが多いのだろう。
端っこの方のはちょっと控えめな子です。でも親鳥はそんな弱気な子にもちゃんと配分してみんな元気です。
今朝見ると頭の灰色は黒くなって、胸は白い色がはっきり出て来てツバメらしくなって来ています。
親鳥の働きには頭が下がります。
早朝から日が暮れても餌を運びます。子だくさんを立派に育てようとする姿見習わなくてはと思うのです。
外敵に襲われないように気を配って本当に健気なのです。

2015年6月22日月曜日

夏至

今日は夏至だそうな。TVで知った。
一年間で今日が昼が一番長い日なんだって、昔理科で習ったよね。
そして、日本で夏至が6月21日ではなく、22日になるのは4年ぶりという事は新聞で知った。地球の自転と精密な原子時計とのわずかな差を調整するためだとか。
「うるう年」があることは知っているが「うるう秒」もあるらしい 。
7月1日の午前8時59分60秒が挿入されるとか。この1秒は何年に一度巡って来るのだろう?
人生どんぶり勘定で生きている私にはこの わずかなずれは人々にどんな影響を及ぼすのか想像がつかないが、また新聞によると、株式市場は今や1000分の1秒単位で動くという。
「へぇ~ そうなん」とタダタダ感心するばかり。

でも、ちっちゃくなったね。お日様が出たら朝で、日が沈めば夜という単純なサイクルの頃がなんだか穏やかだった気がする。
夜になったら1日の疲れを取るために眠る、朝は今日も元気に働こう。
懐かしんでいる私はもう、どうしようもなく世の中から置き去りにされているのだろうか?

2015年6月20日土曜日

コントラバスとトライアングル

17日のコラムに<オーケストラでコントラバスは合奏の底を支え、主旋律を奏でることはあまりないがバスがあるとないとでは音楽全体の重さと幅が違ってくる>とあった。
コラムが伝えたかったのは他のことで、音楽にたとえていうなら、一見無駄そうでも全体の重さと幅を支えるものがあるということであった。

私はなるほど!とひざを打った。そしてまだあるよ、案外聞きのがしそうでスパイスのような音源が。
打楽器の存在だ。
トライアングル、鈴などの小さな楽器。
コントラバスが全体の重さと幅を支えるなら後者はさしずめ全体を引き締めアクセントを付け、調和を整え豊かな味わいを醸しだすスパイスのような存在ではなかろうか。
たまにその澄んだ金属音が聞こえると雲間から射し込む一条の光あるいは、寒空の星のまたたきを見るような気持ちにさせられる。

もっと若い頃はそんな音には気付くことはなかったように思う。
しかし最近は効率も大切だけど一見無駄そうで、愚鈍でも大事にしたいものが増えたような気がする。
今、スメタナの「モルダウ」を聴きながらゆったりした調べの中で時々聞こえるトライアングルの音色はモルダウの水面にきらめく光なのかなと見たこともないその河に思いを馳せている。

2015年6月18日木曜日

子連れ出勤

今朝のTVで子供を自分の会社につれていき、親が仕事しているそばで子供は退社時間まですごすという会社を紹介していました。
子供の昼寝も仕事している足元に布団しいていました。
この事に賛成か反対かその番組の出演者5人に聞いたところ
賛成が多く反対は一人だけでした。
あなたはどう思われますか?
私は反対です!
だって仕事に集中できないでしょ。
他の人もそうでしょうし、第一迷惑になるでしょう。
託児所を作るべきと。
子供はどう感じるのでしょうね。
大人ばかりのしかもかまってもらえないしつまらんでしょうに。

親は仕事に集中、子供は子供同士の中でケンカもしつつ成長していけるのが理想かと・・・
子供は社会の宝ですもの。

やってみました。

数日前、ネット上にお魚を焼くとき網の下に水を入れて焼くタイプ、落ちた油分で後始末が大変なのをひと手間かけるだけで簡単に後始末できます、と紹介されていたのを思い出しました。
今日は鯵を焼きます。3尾、そのうち1尾は特大だったので半分に切ってます。
そうそう、そのひと手間とは、張る水の中へ片栗粉大さじ3~4杯を溶かして入れるだけ、そしていつも通り焼きます。焼けたら魚を取り出し、焼き網がさめたら・・・・「何ということでしょう、」固まっています。それをそっと端の方からめくるように取ると油汚れがその固まった片栗の中に、そう、私がやってもぺろりんって取れました。
それをビニール袋に入れポイッ後は何事もなかったかのようにピカピカ。
私の仕方がちょっと悪かったのか、濃度か温度のせいなのか奥の方がしっかり固まってませんでしたが、ギトギト汚れにはなってません。そして、これは前からですが焼き網は魚をのせる前にティッシュにサラダ油を含ませ拭いておきます。焦げ付きが違います。
片栗粉が要る。片や洗剤が要る、しかし、この油分下水や浄化槽へ流れていくのを軽減できる。
この方法時々使ってみようと思います。
一度試してみる価値はあります。

2015年6月15日月曜日

うれしいこと

かすかな声でチィーチィーと聞こえていたのが昨日あたりからはっきりと聞こえます。そうなの、ツバメのヒナが誕生したのです。

黄色いくちばしが見えてます。どうやら3兄弟。
親鳥はひっきりなしにえさを運んでいます。
見上げたりしてると警戒して、Uターンしてしまうので、こっそり影から観察です。

さあ、セキュリティーのレベルを上げてにっくきカラスや蛇から守らなくては!
どう上げるかって?
見守りです、親鳥の鳴き声が警戒レベルに入るとけたたましくなります。
ネコがその巣に昇ることは不可能ですが、巣の下を通っただけで「あぶない!あぶない!」というのです。きっと子ツバメたちはじーっと巣の中で小さくなっているのでしょうね。
そのかわいがりようと言ったら人間顔負けです。
機械的に運んでは飛び去るのではなく、子供たちの様子をみながら子育てしているようです。
そしてきっとどの子にもまんべんなく餌がいきわたる様に順番に与えているように思われます。
 巣立ちができる日が楽しみです。
<這えば立て 立てば歩めの 親心>

2015年6月12日金曜日

そばとあじさい

今日は同級生たちと古民家で「和そば」をいただきに紀北方面に向かいました。
そのついでと言っては何ですが「恋野」のあじさい園へも行きます。。
長く車に乗っていると降りる時の第一歩が思うようにならないのです。「ちょっと待ってね」と二呼吸くらい固まった後でやっと動き出します。
あじさい園は大きな池の周りに遊歩道を巡らせ、その周りにたくさんのあじさいが咲いています。
地質がそうなのか青いアジサイが多いです。
空も池も豊かな空気に包まれて、ゆったりとした気持ちになります。アジサイはどこにもありますがこの空気感が又一味違うのです
時間が経つのも忘れて心を水辺に預けました。

さて、お目当てのそばです。
古民家は武家屋敷だというのですがもっと手入れが行き届いていたら素敵ですが、土塀も玄関先もかなりの古びよう、
昔の光いまいずこ状態。
太い梁や柱、桜の敷居などから当時の華やかさが偲ばれます。
そばは十割そば、歯ごたえ、香り、つゆの味は申し分ないほどおいしく戴きました。
お腹いっぱいになったのですがあまりにヘルシーすぎてしばらくするとおなかが何かを要求してきました。
帰りに立ち寄った珈琲とワッフルはその要求にしっかり応えてくれました。楽しい一日でした。

池の周りに遊歩道涼しい風が・・・ 



あじさいいっぱいです

あずまやのそばで真っ赤なもみじがひと際人目を引きます。








2015年6月11日木曜日

季節の花


近所に咲いた月下美人です。
たった一日だけなんてもったいないですね。
 我が家に咲いたたった一輪です
深い青が涼しげなあじさいです。友人に頂きました。
花がすめば挿木したいと思います。
どれも季節に忠実に咲いてくれました。

2015年6月9日火曜日

中川邸

昨日は御坊市の商工祭でした。
人力車に乗って小竹八幡と日高別院界隈を巡ったり、ストリートダンスや吹奏楽団の演奏、妖怪ウォッチのショーなどを楽しむ人々でお天気にも恵まれ大変にぎわいました。
私と友人とは最近大修理をして復元された中川邸でのお茶席に行きました。
お手前を頂くのは50年ぶりのことです。
そのお作法も遥かかなたの記憶を呼び戻すことなんてできませんしなんせ、このひざです。
前もってその旨伝えていたことですが、私だけ椅子なので様になりません。
だけど、年齢が与えてくれた度胸と無鉄砲さでおいしく、和の心などを満喫しました。
邸内を見学しました。
土蔵は荒れ果てた壁に蔦が絡まり「えつり竹」まで見えていたのはきれいに修復され白壁がまぶしく、裏庭は雑草が生い茂って垣根は朽ち果てていたのを知っているだけに、この変わりように先ず驚きました。
古い建造物も手とお金をかけるとこんなにきれいになるのですね。
当時のものをできるだけそのままの形で修復 したその苦労が伝わってきます。
そして先人たちの智慧に感服です。
障子などの建具も夏の暑さをしのぐための工夫がいっぱい。
その障子の桟などの細やかな細工や床の間の天井には杉でしょうか、柾の一枚板が各部屋に使われています。普段は見学できない二階も今日は解放されています。
欄間といい階段の手すりといい職人の技の総てをそそぎ込んだろうと思われる気の遠くなるような細やかな手法が素人の私にもわかります。
私たちは豊かな気持ちになりまたいつものように夕方まで、「よかったね、」と話し込みました。

白壁の土蔵

坪庭

暖炉


2015年6月5日金曜日

感想文です

「破戒」を読み終えました。
物語の最後は丑松が自分の出生の秘密を打ち明け、新しい人生の再出発のため懐かしい信州を後にするところで終わっています。

いわれなき差別を受ける新平民の生活ぶりや父親からの戒め「隠せ」、これらの重圧を一身に受けとめて教員生活を送る丑松の苦悩が「破戒」ということで身も心もある意味解放されて毎日みている景色さえも瑞々しく感じる心の変化。
彼の前には新しい道が拓けていくような希望を抱きました。

そうであって欲しいと願わずには居られません。
しかし、この本が発表されたのは 明治39年の春です。
100年ほども昔のことです。100年後の今の私たちにはこのようなことがすべて無くなっているかといえばまだまだではないだろうか 「人より上の立場でいたい」というのが人間の性なのでしょうか。
地球上では身分制度や人種差別は今もなお生き続けています。
丑松はその後どんな人生を送ったのかテキサスはそれらの悩みから解放された新天地だったのだろうか。知りたいですよね。

重い重いテーマだったのにそこここに散りばめられた、信州の風景、例えば夕暮れ時の雲の色が刻々と変わってやがて一瞬明るくなったかと思えば次には夕闇があたりを包むとかいった描写の優しさが 私の心を慰め、休めてくれ読み進む励みになりました。

それにしてもこんな難しいテーマの本を中学か高校の頃に読んだとは私、変にませてたのか、暗かったのかですね。
そういえば、「風は柳をふいています・・・」と朔太郎なんかもかじったことあったね、確かに変な子だったかもね。
感想は一言ではお伝えできませんが少し心がつよくなる物語でした。

薔薇に囲まれて




先日、泉南の「花咲きファーム」というバラ園に連れってもらいました。
前日にTVで紹介されていたそうです。
花の盛りには少し遅かったですがそれでも色とりどりの種類です。広くて美しい景色の中では日常を忘れます。
薔薇はやはり見ごたえがあります。
 

2015年6月3日水曜日

破戒読み終わりました

先日の続きです。

破戒――何といふ悲しい、壮(いさま)しい思想(かんがへ)だろう。

丑松は 父の教えの身を守るための「隠せ」「忘れるな」の戒めを破り棄てる気でいる。学校への進退伺も書いた。「阿爺さん、堪忍して下さい」と繰り返した。蓮太郎の著書の「我は穢多なり」と書起こしていたのを今更のように思い返し学校へ向かう。
実は丑松を排斥しようとするのは校長やその取り巻きであった。
しかも 自分の方からそれを言わないで町議たちの方から言いだすようにしている悪どさ!
その日丑松は授業を終え、いよいよ生徒たちに身の素性を告白する。涙なくしては読めない告白の言葉、 やがて学校中にそのことが伝わり教師たちをはじめ他の生徒たちも集まってきた。
丑松は土下座(しかし文中では「同僚の前に跪いて、恥の額を板敷の塵埃の中に埋めていた」というふうに表現している)。言葉の力というものに私はここでも深く感銘を受けた。

この学校でただ一人師範学校時代からの親友がそれを聞いたあとも何くれとなく思いやってくれるのだ。
いや、のみならず生徒たちも、丑松がひそかに恋心を抱いていた下宿先の寺の養女のお志保も丑松の気持ちをくみ取る。

蓮太郎の葬儀が執り行われる。蓮太郎が選挙応援していた市村弁護士からアメリカのテキサスで農業に従事するという計画をしている人から教育のある、確実な青年を世話してと頼まれているがどうか、と誘われた。その人とはかつて入院しようとしていた病院からも宿からも「穢多」という理由で追われた大日向であった。
 丑松は新しい人生を歩むための一歩を踏み出す決心をする。

やがて、別れの時が来た、生徒たちも別れを惜しむ、「ごきげんよう」。飯山の町の眺めは霙の空に姿を隠した。ホッと深いため息をついた丑松の頬を涙が伝う。橇は雪の上を滑り始めた。
と物語は余韻を残して終わる。

ざっと粗筋を追ってみた。今夜はもう遅いので感想は後日に!
「ごきげんよう」