2018年3月19日月曜日

老人クラブお料理教室

今日、計画していた老人クラブのお料理教室です。
今日まで献立は知らされてません。ただ公民館の調理室は絵画教室としても使うようなので料理を始める前に流しや調理器具などきれいにしようという事で1時間前から先ずは洗浄とテーブルなどの拭き掃除。
ビニールのテーブルクロスを拭くとテーブル布巾が手の形に灰色になり、絵の具がこびりついています。食器もいつ使ったのかわからないのでこれもきれいに、「始めるまでに疲れてしまうね」などと言いながらもみんな生き生きしてます。14人の参加者を4つのグループに振り分けいよいよ講師の説明です。
材料が並べられ、3つの料理を作るのです。

1.豚肉の玉ねぎソースかけ
豚ロースに塩こしょうしてフライパンで焼く。付け合わせは豚ロースの上に新玉ねぎうす切りをしんなりなるまで炒め調味料を加えて味付けしたソースを。キャベツのせん切りとピコトマトを添える。
2.ジャガイモとスナップエンドウのオカカ煮
ジャガイモは太い棒状にスナップエンドウは筋を取り色よく茹でる。鍋にじゃがいもと出汁と調味料を入れ煮立ったら弱火で柔らかくなるまで煮、スナップエンドウを加え煮詰める。
3.ブロッコリーとしめじの胡麻和え
ブロッコリーを茹で同じ湯でシメジをさっとゆでざるに取る
だし汁と調味料をあわせてあえる。
私たちのグループは男性がよく動いて下さって手順よくすすみなかなかの出来栄え。

みんなで戴くのは美味しいね、しかもみんなで作ったのだから尚更。
昼食後あまり時間が経ってないので半分はパックに入れてお持ち帰り。男性たちは奥様にお土産にすると言ってました。
その後みんな感想を述べ、また開催したいという意見が多く嬉しかったです。
先生が独り暮らしになった時などの栄養学の講義を教えてくださいました。栄養とカロリーを上手に組み合わせて健康な老後を楽しみたいと思います。
ただみんな教室では心が子供にかえっているようでものすごく賑やかでとても老人クラブとは思えないはしゃぎようでした。
調理室は使う前よりもきれいになってお開きで大成功の活動内容でした。

2018年3月16日金曜日

桃子さん 墓参りする

周造 逢いたい、頭は眠れないのに体は布団を離れがたい。
一週間ほど前からの足の痛みも若いときは気にもかけないのだが老いの衰えがジワジワと押し寄せてくるように不安だった。ぐずぐずを決め込んでいた時桃子さんは確かに聴いた。
おんで、 おんでよ。懐かしい声を。
反射的に飛び起き笑顔を浮かべてあたりを見回す。すばやくいそいそと支度にかかる。
弁当を作る。弁当箱は桃子さんが子供の頃買ってもらった年代物を捨てられないでいたが子供らのそれはとうに捨ててしまった、ほんとうは子供よりも自分が大事だったのだと頭をかすめる。脚は大丈夫だろうか、不安がよぎったがとても快調だ。夫が眠る市営霊園までバスもあるのだが桃子さんは小半日かけて歩くことが多い。郷里を離れて50年になるのに手足に深く刻まれた山の記憶が、今こんなに 自分を喜ばすのに違いない。とますます険しくなる草深い道を進む。
亭主墓参のための道すがら、飾ることのない素直な自分に出会えることが楽しい。
脇腹に草の実が幾粒もついていて引っぺがすかと思ったが途中でやめ、おら何如(なじょ)な実を結んだべが。
何にも、何にもながったじゃい、亭主に早く死なれるは、子供らとは疎遠だは、
不意に笑いがこみあげて笑い疲れて竹落葉の上にべったりと坐り込む。
私も時々昔を振り返っては一体何をしてきたのだろうと反省とも後悔ともつかぬ思いに捉われることがある。思い通りにいかない日が続いた時など。目をつむって頭を左右に振って払いのけるのだが。

2018年3月15日木曜日

心の声達

周造が死んで桃子さんは思う、幸せだったと。
身も心も捧げつくしたおらの半生、満足であった周造のためにためにで三十と一年、最高だった。
心の声の柔毛突起たちが んだんだほんだんだんだほんだ

別のグループの柔毛突起達がつっこむ。
独りよがりの話はやめでけろ
んだ、きれいごどばり言うな

おらは半分しか生ぎでないと言ったの忘れだが
涙こ、こぼしたのおらちゃんとおべでるぞ
知らぬ間に自分ば明け渡していた。
などなど突っ込みの言葉は鋭い。

心の叫びは桃子さんの自問自答、
自分よりも他人を大事にするごど、それが愛だどいう
ひたむきな愛だの、一途な愛だのとほめそやす
愛ゆえに人はうつくしー
それが自分の本当の心かと問いかけてくる。
究極の人生論を桃子さんは心の声と本体の桃子さんとで問答を繰り返している。

2018年3月9日金曜日

桃子さんと柔毛突起

愛する夫の死を受け入れられない桃子さん。
一人ぼっちになった桃子さん。
言い忘れたが桃子さんの体内に無数の柔毛突起のようなものがありそれらの一つ一つが思い思いに言葉を発し桃子さんに問いかけ、慰め、叱咤激励をする。体内に無数の桃子さんがいるらしい。
ややこしい話だが桃子さん本体があり体内の柔毛突起が発する言葉は云わば彼女の心の声みたいなものである。
独り暮らしなのに無数の桃子さんが同居していて口々に東北弁で各々発言する。
淋しさを紛らす自己防衛みたいなものかと私は勝手に思っているのだが、その賑やかなこと。
 ついでに桃子さんについてもう少し語ろう。
桃子さんには二人の子供、庄司と直美がいる。
庄司も直美も今は桃子さんとは疎遠になっている。
大学を中退したとき庄司は「かあさん、もうおれにのしかからないでくれ」と言って家を出る時の最後の言葉を忘れられないでいる。
直美は直美で兄さんばっかりとの思いもあるし、服も直美の好みを理解せずかあさんの好みを押しつけられたとずいぶん後で聞かされ愕然とした。
しかし直美が嫌ったフリフリの飾りのついた服は桃子さんが子供の頃母親が決して着せてくれなかった憧れの服なのだ。
その夢を娘に押しつけていたことに気が付く。

一旦は仲直りの兆しも見えかけたころ直美は自分の息子の才能を伸ばしてやりたいので絵画教室に通う費用を用立てて欲しいと言うが桃子さんはお金が惜しいからではないが返事に詰まった。直子は「兄さんばっかり」と言って電話が途切れる。
直美が行ってしまうと桃子さんはうなだれそうになるが自分を励ますもう一人の自分がいる。前を見る。
そして冷蔵庫の缶ビールを飲むのだった。

我が愛車

私の愛車、買い物先に止めておいたのが今日の台風並みの強風に倒れていた。何時ものってる自転車なのにドテーッと倒れた格好はみっともないね。
急いで手に持ってる荷物を傍らにおいてよっこらせと起こして荷物の方を見ると飛ばされそうにじりじり遠ざかっていく。慌ててそれを捕まえにいってる間に又自転車が倒れた。お店の人に手伝ってもらってやっと体制が整ったが、前籠に入っていたパンフレットが飛んでいく。
自転車のスタンドが壊れたみたい。跳ねあげてもダランとなってる。それでも乗らねば私歩いてはとてもなのです。

ダランとなったスタンドは賑やかな音を立てながら何とも惨めで恥ずかしかったが誰にも会わなかったのが幸せと言うもの。
修理をお願いして支払った金額が2,400円、ヤレヤレです。
この自転車15年以上前に量販店で買って1万円でお釣りがきた。
タイヤ―・チューブを両輪替え、何度かパンク修理を重ね
買った時以上の代金を支払っている。
チマチマと修理を重ねるよりもっと前に新車にしていた方が賢い選択だったのかとそのたびごとに思うのだが…
今となってはペタルの重さにさえトレーニング機能が付いてると思って愛着がある。更に言えば一心同体状態なのだ。
私、自転車に乗れなくなるまで頑張ってもらわねばね。

2018年3月7日水曜日

桃子さんと周造

二人は間もなく所帯を持つ。
周造は気後れするほど美しい人と桃子さんは表現している。
その頃から東北弁に素直になれた。二人の純朴さが共鳴し合う。 そして自分を飾るという事を知らない周造の素直な心情に桃子さんは惚れた。
「虔十」だ。あの宝石のような物語の主人公が目の前にいると
そしてその作品の一節を引用している。それほど読書好きでもない私は「虔十(けいじゅう)」の意味さえ知らなかった。
調べてみた青空文庫にそれがあった宮沢賢治の作品の中の主人公。
今は割愛しておくが「本当のさひわひ(幸い)」がなんだかを教えてくれた人なのです。
二人は幸せだった。周造は桃子さんが都会で見つけたふるさとだった。
 二人の子供をもうけ独り立ちした。満ち足りた結婚生活。
ところが周造が一日寝込むでもなく心筋梗塞であっけなく逝ってしまう。
15年たった今でも心のどこかで突然の死を受け入れられないでいる。
周造、逝ってしまった、おらを残して うそだべ うそだべ

唐突ですがこの作品の文体にはカギかっこ「 」や句読点が少ない。特に東北弁のところが、読むとき何処で区切ればいいのか迷うのよね。 続きはまたね。 

2018年3月6日火曜日

春の嵐

雨と風の一日でしたが今日は風向きも変わって晴れやかになりました。
先日植えた花苗は強風で少し元気がありませんが又すぐ立ち直るでしょう。
本格的な春はすぐそこですね。今年の冬は特別に寒かったので春と聞くだけで心浮き立つ気がします。

さて、桃子さんその後です。
挙式直前のたった一人の逃避行、あの時から桃子さんを取りまく風景は一変、上野駅に降り立った時の心細さ、それでいながら何とも言えない解放感。しかしもう戻れないその日から住み込みであれば仕事は何でも良かった。蕎麦屋で働いた、心配していた言葉にもすぐ馴染めた夢中だった。若さが何とかなると後押ししてくれた。何軒か仕事先を替えた。
ある時故郷の八角山の夢を見た。ばっちゃまが朝晩手を合わせていた信仰の山。
故郷にいる時は好きじゃなかった八角山が夢から覚めた時から桃子さんの心にどっしりと居座った。
その頃働いていた店に来た一人の男性が大きな声で「おらは
 おらは」と話す声を耳にする。屈託のない笑顔で大きな声で笑う人を好きになった。
「故郷の訛り懐かし停車場の・・・」ですよね。
ある時思い切って八角山を知っているか聞いてみた。
その人の名は「周造」という。
とびきりの笑顔で覚えてる(おべでる)八角山でば、おべでる、と言った。
しかし、周造の見上げた八角山は円錐形の山容の美しい山だという。
片や、桃子さんの八角山は鍋を伏せたような凡庸な山、つまり見る方向が違っていたのだがお互いに自分が見た山が八角山の正面だと言って譲らなかった。そして笑った。二人の仲は一気に縮まった。そしてある日周造が真顔で 決めっぺ。一言そう言ったプロポーズの一言がストンと胸に落ちた。
桃子さん良かったね、けど故郷の人達は?ってつい思う。
殊に置いてけぼりを食らった花婿になるはずの男は今ごろどうしてるんだって老婆心ならずとも同情しちゃいます。

今日はここまでです。

2018年3月5日月曜日

桃子さん

この前読みかけた本の主人公の名前。
東北弁丸出しの書き出しに戸惑いそれ以上に興味を引く言葉に誘われるように読み始めたというより既に読み終わっている。

実は桃子さん都会の郊外に住んでいて故郷を出て50年、標準語で生活していた筈なのに最近こうして生まれ故郷の東北弁にどっぷりとつかっているのだ。
高校を出てしばらくは農協に勤め母と暮らし組合長の息子と結婚も決まっていたのに(好きでも嫌いでもなかった)東京オリンピックのファンファーレの響きに押し出されるように家を飛び出した何と挙式の3日前だったという。
こんな大胆な桃子さんである。タイトルの「おら おらでひとりいぐも」から想像するとそれ以後は結婚しないでひとりいぐもと決心したのかと思ったがそうではない。
彼女には長男と長女がいる。
彼女は多分私とはそう年齢も違わないはず。
ファンファーレを聞いた年私は高校生だったように思う。
大胆な桃子さんのこと後日もっと詳しく書きます。

とっても面白くて笑える内容なのに泣けた部分がある。
なぜこんなとこで泣いたのか自分でもわからないままティッシュをつかんだ。

2018年3月3日土曜日

幼稚園児と花植え

今日幼稚園児と花植えをしました。
プランターに花の苗を植えるこの行事は老人クラブと地域の幼稚園、保育園の子供たちとの交流のための年間行事の一つです。
弥生と聞くだけで何だか心が浮き立つような気がしますが、今日はピッタリ、お天気といい陽ざしの暖かさといい申し分ありません。
ストック、ディジー、ポリアンサスなど色とりどりで植える私たちもまさに老若男女です。
子供たちはじょうろでたっぷりの水をかけて完成です。

その後園舎で園児たちのピアニカの演奏や歌、それに私たちとの手遊びで楽しく過ごしました。
子供たちと手をつないだり握手したりしたその感触はどの子もとっても柔らかでかわいらくその小さな手には無限の未来を秘めているようでした。
お土産まで貰って帰りました。
春の日のほのぼのとしたひと時でした。