2018年3月16日金曜日

桃子さん 墓参りする

周造 逢いたい、頭は眠れないのに体は布団を離れがたい。
一週間ほど前からの足の痛みも若いときは気にもかけないのだが老いの衰えがジワジワと押し寄せてくるように不安だった。ぐずぐずを決め込んでいた時桃子さんは確かに聴いた。
おんで、 おんでよ。懐かしい声を。
反射的に飛び起き笑顔を浮かべてあたりを見回す。すばやくいそいそと支度にかかる。
弁当を作る。弁当箱は桃子さんが子供の頃買ってもらった年代物を捨てられないでいたが子供らのそれはとうに捨ててしまった、ほんとうは子供よりも自分が大事だったのだと頭をかすめる。脚は大丈夫だろうか、不安がよぎったがとても快調だ。夫が眠る市営霊園までバスもあるのだが桃子さんは小半日かけて歩くことが多い。郷里を離れて50年になるのに手足に深く刻まれた山の記憶が、今こんなに 自分を喜ばすのに違いない。とますます険しくなる草深い道を進む。
亭主墓参のための道すがら、飾ることのない素直な自分に出会えることが楽しい。
脇腹に草の実が幾粒もついていて引っぺがすかと思ったが途中でやめ、おら何如(なじょ)な実を結んだべが。
何にも、何にもながったじゃい、亭主に早く死なれるは、子供らとは疎遠だは、
不意に笑いがこみあげて笑い疲れて竹落葉の上にべったりと坐り込む。
私も時々昔を振り返っては一体何をしてきたのだろうと反省とも後悔ともつかぬ思いに捉われることがある。思い通りにいかない日が続いた時など。目をつむって頭を左右に振って払いのけるのだが。

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