2018年9月30日日曜日

浪曲を聞く

台風なのでテレビはつけっぱなしです。
とは言え気象情報ばかり見てないです。
ふと見ると浪曲です。
「なにが なにして なんとやら~」くらいの知識しかない。珍しさも手伝って途中からだけど見た。
玉川 奈々福と言う女性の浪曲師が「浪曲百人一首 恋歌扁」と言うのが紹介された百人一首の恋の歌と聞いて興味が湧いた。
お馴染「春の色は…」小野小町になりきって面白く演じる。
ちょっとしゃくれて横から見ると花王石鹸のマークみたいなとこが印象的。
黒い着物に白百合が肩のあたりに描かれてこの人はきっぱりした性格なのだろうと勝手に思う。
黒い着物に赤い重ね襟、同じく帯〆、帯あげ、時々チラッと見える袖口からも赤い色が効いている。きれいだなぁ。
他に「あしひきの山鳥の尾の…」とか「今来むと言いしばかりに長月の…」など作者になりきって面白おかしく三味の音にあわせて解説する。あまりに面白かったので番組の終りまで楽しんだ。
他の出演者はお馴染の歴史もの「刃傷松の廊下」「一本刀土俵入り」などで楽しませてもらった。
どの話の筋道も大体分かると言う事はどこかで浪曲に馴染んでいたのかもしれない。す~っと体に馴染んでくる浪曲でした。
いよいよ風が強くなって来た。早くお風呂に入っておきます。

大家さんと僕

私の図書館みたいな友だちに長いことお借りしていた本を返しに行ったら今度は「マンガ読むかい?」って<大家さんと僕>と言うのを見せてくれました。
マンガ?私の知ってるマンガは「こち亀」とか「サザエさん」「あられちゃん」くらいで彼女とマンガがどうしても繋がらない。その本には黄色い帯が付いていて手塚治虫文化賞受賞! 50万部と書いてある。

家に帰って見てみると絵は単純簡潔。一風変わった大家さんは小柄で上流家庭の雰囲気のあるおばあさんと(僕)は余り売れないお笑い芸人の日常を描いたもので作者の実体験である。

ワハハと笑う面白さではなく懐かしいほっこり笑える静かなマンガです。
作者はお笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎。私は見たことがあるような無いような…

大家さんの二階に住むことになった僕は高齢の大家さんの健康状態も気にしながら自分とは違う生活習慣や価値観に戸惑い小さな刺激をうけながら時代が何十年も遡った感覚で毎日が過ぎていきます。
全編ほっこりがみなぎっている理由は大家さんが醸し出す育ちの良さと決して悪口やダメだしをしないことです。

最近はネットでもだれそれがこうしたとかそれに対してまた色々攻撃的な書き込みで炎上したり、謝罪したりトゲトゲしてるがこれが一切ないところが日照り続きにしっとりと大地を潤す恵みの雨のような感覚です。

焦らないけどあきらめず希望もあるがどこまでもスローテンポ。
今の世があまりに便利すぎ、成果主義、求められるのはスピードと効率そんなことに我関せずにいる大家さんには懐かしさとほっこり感がたまらない。
既に読み終えたがまだ返却する気がしない。
手元において時々は眺めてじわじわ来る静かな笑いにほっこりしたいと思っている。

2018年9月28日金曜日

秋のご飯

見事な丹波栗を頂きました。
シーズン中一度は食べないと秋が来た気がしない栗ご飯に挑戦します。
鬼皮はお湯に30分ほどつけて柔らかくなったところを包丁でむく。専用の器具もあるらしいが年に1,2度しか使わないから手間を惜しまずに。さて、今度は渋皮をむく、これがなかなか上手くできないのだ。包丁で優しく丁寧に扱わないと実が割れたり厚くむき過ぎたり。ここまで一時間以上かかっている。むけたのから水につけておかないとアクで変色する。その水を何度か替えながらアク抜きをしておく。

そうして米はもち米と半々に洗いしばらく置いて分量の調味料と昆布、栗を入れてスイッチ・オンにする。
スイッチを押したら出来るのを待つだけだが下ごしらえに力がいる。
沢山の栗を3分の2ほど入れて残りを甘露煮に、サツマイモもあったので一緒に煮ることに。
クチナシの実が手に入ったので色よく煮ることができそうだ。しかしご飯の方は間にあわないので自然色のまま。
こちらもおいしく出来た。
おいしいと言って食べてくれる家族がいるから私も調子に乗ることができる。
こんなのを<幸せ >って言うのだろう。

写真でおすそ分けしましょう。栗とサツマイモの甘露煮です

食育川柳その2

食の川柳最優秀作品が新聞で発表された。
「ダイエット明日に延ばしてまた食べる」
ダイエットは明日からと言う句で私のことかいな?と思ったほどでした。だれもが陥る「明日から始めるけどとりあえず今日は食べたろ」の気持ちをうまく表現してるなぁと感心しました。
作者は日高番傘の会員なので余計うれしかった。
早速メールをしました。「まぐれです」と返信して下さったがやはり実力です。
 わたしの?箸にも棒にもかからないものです。

2018年9月25日火曜日

ちょっと待って!

枯れてしまった植木鉢があまりに殺風景なので花苗を買って来たはいいが、まだ植えてない。
小さな苗ポットに入れられた苗は早く広い鉢に植えてと訴えてるようだ。
少しでもと思って物置から道具を取りだそうとした。目の前に味付けのりの容器に入った去年掘りあげた水仙の球根が白い根を伸ばしていた。
残暑がどうの、やる気が出ないのだの言ってる間にも季節は進んでいるのだ。そう言えば風に堪えた椿にも小さな固い蕾が見えたし、別のプランターに植えっぱなしの球根からも緑の芽が出ている。
春に咲く花達は暑さの中にでも敏感に季節を感じとって準備万端なのに私の何とのろいこと。

球根が先か花苗が先か片づけが先か優先順を決めかねてる。
結局、今日は何もできないで終わってしまった。
少しは早起きして頑張らないとね。

銀行で

お彼岸の3連休も終わり普通の毎日が始まった。
銀行へ行く。私はこの口座にはカードを作ってない。
その管理の煩わしさから最低限のカードしか作っていない。
休み明けなので待つのを覚悟で出かけたが番号札を出すと同時に呼んでくれた。面喰ったほど、家から書いていった出金伝票と通帳を窓口で渡すとこれまた待合のいすが温まらないうちにもう出来た。
ATMでは混雑している。
スイスイと済んでそんな人たちを尻目にラッキー!と心でにやついた。
「なんでカード作らないの?便利やのに」 って言われたこともある。
待っている人の数からカードで決済する人がこんなにも広まっていることがうかがえる。

先日の停電の時にも電気一辺倒の家庭よりガスを併用している家庭が強みだったし、何事も偏ってしまうのはどうかと訊かれている気がした。
男も女もあり、せっかちものんびり屋もあり鋭いも鈍もあるのでこの世は成り立っていることを実感して今日は小雨が降りそうなのにすこぶる気持ちは青空です。

2018年9月23日日曜日

ボランティアって?

先日ボランティアの講習会に行った。
この日は滅多にない頭痛がして気分が冴えない。
いろいろお話があってその後この前避難所運営の講習会の時と同じように大きなモゾウ紙に小さなメモ用紙に書いて貼り付ける作業をすることになった。
ボランティアって聞いて何を思い浮かべるかの質問に感じたことをメモ用紙に書いて貼り付けていく。
どう思うかという質問に私は(仕方なく、放っておけないから)と頭痛も手伝ってかやる気の無さを書いたが回りは生きがいとか元気をもらうとか皆さんえらいなぁって思う。

でも先生は「私は○○が出来ます」って登録するのじゃなく「○○を手伝ってくれる方いませんか」と声がかかったらその○○が自分にできてしてみようと思ったら手を挙げる方が気安く出来ると言っているのを聞いてなるほどこれならとっかかりやすいなぁと感じた。
私はボランティアと言えども継続的に手伝うボランティアは当てにされる分責任もついてくるので自分には出来ない、と思いサロンのお手伝いも出来ないでいる。
がボランティアしてると言う気がなくても自分がやってることが既にボランティアだと言うこともあるらしい。
そう言えばお年寄りとの会話もそれに当たるかもしれない。

「どんなことしてますか」の質問に又メモ用紙に書いて貼ったが時間の関係かそれを発表するまでは至らなかった。
お互いが助け合って自分が出来ることで喜んでくれるならもう立派なボランティア。
しかし、私はその事で自分の生活を圧迫するほどになったらもはやボランティアの域を超えてしまってると思う。
自分も楽しくやりがい感じる程度にね。

2018年9月22日土曜日

暑さ寒さも

暑さ寒さも彼岸までというのにこの暑さはどうよ!
明日は彼岸の中日です。又和歌山の親戚がお墓参りに来てくれるのでお墓の花を片付けに行きました。
最近、どのお寺もそうらしいが古い花を捨てる場所がないので持って帰らねばならない。それを和歌山まで持ち帰るのは気の毒なので大抵はその前に撤収しておくのだ。
道中、堤防のあちこちに彼岸花が咲いています。
今年は何だか痛々しいのです。もう花の盛りが過ぎてると言うこともあるが花の周りには未だ台風の爪あとが残り、茶色くなった枯れ葉があるからです。

そのお寺へ行くのが「えいやっ」と思わねば腰が上がりにくい、それだけではない、直しかけたスカートももう3日もそのまま、仏壇の掃除も見ないふり。
何となくやる気全開でないのだ。どこが悪いのではないが少し残暑にやられたのかも。
早く涼しくなるのを待ち焦がれる。

食育川柳

今日は健康福祉祭りが開催されている。
買い物をして午後見に行った。
お目当ては8月に市が募集した食育川柳なのだ。
応募作品は200と言ったか300近くと言ったか全部の作品が展示されている。
この中で1句だけ選んで投票し最優秀賞1名に図書券が当たるのだ。
私の句もこの中に混じっている。
沢山の中から選ぶのは難しい。こんな時最後の方に掲載された句は不利でなかろうか、読むのに疲れてしまう。

私は時間をかけてみんな読んだが味わうと言うところまではいかない。
(反抗期なのにご飯だけは残さず食べる)風景を詠んだ句に投票した。突っ張って反抗ばかりの食べざかりが食べることだけは食欲に素直になるおかしさに一票です。

しかし、こんなにたくさん投句されているという事は川柳に関心のある人がこんなにもいると言うことだ。
我が日高番傘会の会員になって欲しいものです。
新鮮な視点で詠んだ句も沢山で「食」に関する事でこんなに色々作れるんだと感心しました。

2018年9月20日木曜日

忍び足

つま先から音をたてないようにして歩くのが忍び足。
最近、私の周りでは忍び足で近づいてくる気配がする。
 いえ、怪しいものではござらぬ。正体はわかっている。

今年も健康診断に行きそびれているが体重増加が足かせになっている。友だちはあの人もこの人も痩せてきて元の体重に戻らないと言うが私はその反対で元の体重に戻らないのだ。そうこうしているうちにその忍び足が私のすぐ近くまで来ていると感じる。
今に歩行困難になる気がするのだ。
 生活習慣の一例が起床6:30頃、こまごまとした朝の事柄が済み8:00から朝食今日は新聞の整理と空き容器の整理、スイッチが入って流し台とその周りを丁寧にそうじ。少し休憩で座る。思い立って医院へ行く。待っている間は勿論座る。夕飯の買い物を近い所で済ます。和菓子屋にお彼岸のおはぎが並んでいるのに吸い寄せられてしまった。
午後はやり掛けの縫物に取り掛かるがうまいように進まない座ってる。
パソコンの前に坐ったりおはぎ食べたりお茶飲んだりで又座る。
ほとんど座る、座る、座る その内歩けなくなる日が忍び足で…どうしよう…
ただ今日は涼しく雨も雨らしい雨で何だかホッとする。
秋も忍び足で近づいてきたらしい。

2018年9月18日火曜日

俳句甲子園

毎年八月に子規ゆかりの松山市で開催される俳句甲子園の様子を録画で見た。
高校生たちが自分の言葉で俳句を楽しむ全国大会。
審査委員長はプレバトでお馴染の夏井なつき先生です。
この番組では東京の立教池袋高校と愛媛の聖カタリナ学園高等学校に焦点を当てて進行していく。
今年の兼題は滴り・草笛・蛇・胡瓜。全国143チームから選抜された32チームが挑戦する。
 五人の審査員が対戦する学校の句に紅白の旗をあげて判定する。
これの三番勝負で2点取った方が勝ちなのだ。
白 草笛や友の一言回想す
赤 草笛や従妹の肩に触れられず
は赤の旗が5本上がり赤が一点得点する。
又蛇の句では
本心を言えば崩れる蛇の衣 (蛇のきぬは勿論抜けがらのこと)
ながむしやテキ屋の爺の売り口上 (ながむし は蛇のこと)
では蛇の衣が勝った。
この句は他の部員が沢山提出する中リーダーがその時出来なくて4日後に100句つくって提出した内の渾身作であった。
それぞれにその句の心情を解説したり相手校からの質問に答えたりする。
和歌山県では向陽高校が出場して
草笛に集めて風を調律す  を詠み相手校が
草笛や空持てあます動物園 とさびれた様子の動物園を詠んで動物園の勝ちといった具合に進んでいく。

胡瓜一本置き去りの無縁墓  に対し
胡瓜バリボリ 涙のみ込んだ  を披露する
普通17文字にスペースは入れないのだがあえて一文字の空白が。
なぜか私はこれを見るなり胸が熱くなった。
涙は多分悔し涙であろうがその悔しさを言葉で表現できないもどかしさが空白であり、バリボリなのだろうと解釈したから。 勝ったのは無縁墓の方だったが。
決勝まで両校とも進めなかったが出し切った満足感があった。
自分の言葉で思いをつづる高校生たちの情熱に感服すると共に私の川柳に対する姿勢の何と生ぬるいこと、反省の一日である。

2018年9月17日月曜日

敬老会

今日は市の敬老会です。式典では市長の挨拶に始まり模範市民や敬老篤行者の表彰式が続きフィナーレでは幼稚園児のかわいいダンスで締めくくった。

長寿表によると御坊市では80歳以上の人は全市民23,688人に対して2,408人とある。約10%に当たる。
そう言えば全国で100歳以上は67,000人と出ていた。
日本は世界的にも長寿国で、まさに100歳時代の到来である。
後30年もしないうちに私も100歳になるのだろうか?
30年もあると思うか30年しかないと考えるか。
しかし平成になって30年、あの時新しい元号を紹介した小渕恵三元首相の記憶がつい最近のような気がする。
30年間はあっという間に来るらしい。

そんなことより2部でははまぼう学園の発表会が演じられている。
大正琴、コーラス、日舞、創作ダンス、又夢屋舞組による華やかな踊りや園児たちのかわいい演技に市民から募集した体操、GO GO GOBOでにぎわった。

何歳までの寿命かを考えるより朝起きて元気だったらラッキーなのだ。

句会

第3日曜日は川柳の句会です。
宿題の3つのワードの他に課題があり自由なテーマもありでひと月がすぐに巡ってきます。
今月も納得のいくのが出来てなくて足が重いのですが皆の顔に出会ったら気分が上がる。

時間中に3句作るお題は「嵐」です。
選者さんが私の句も一句取ってくれましたが自分では他の句の方が好きでした。
これは選者さんの好みによるものなので仕方ありません。
 そんな事でみんなが選者になる互選を始めました。
投票で選ばれた上位句とその他の句が今月号に載った。

何はともあれ句会が済んで解放感が満ち溢れた気分のまま誘われてカラオケに行くことに。
昼間っからビールは気が引けるがしらふでは歌えないよね。
句も作らねばならぬが少しは歌の練習も必要だと痛感した。

2018年9月15日土曜日

秋祭り

孫がお祭りの練習から帰ってきた。
昨年はまとい持ち、今年は乗り子をするという。
何だか段々祭り好きになってきているようだ。
毎日夕方7時から9時半まで。
最近は子供が少ないので乗り子になる子供を探すのが大変らしい。
そんなことでうちの孫にも打診があったようだ。
大丈夫かと言うのが私の頭に真っ先によぎった。途中でやめるわけにはいかない責任がある。それでも本人の意思が強い。
練習場所が少し離れているので帰りは迎えに行くか組の人が送ってくれる。
今日はお兄さん達が送ってくれた。様子を聞くとだんだん上手になってきていると言ってくれた。
そのお兄さん達にすっかり甘えてまとわりついている。
一人っ子だがこんな機会にお兄さん達に仲よくしてもらっているのを見てうれしくなる。
学校教育では体験できないことを学ぶ機会でもある。
本当によかったと思う。がんばれ!って心で声援!

2018年9月14日金曜日

やりたい事みーつけた

昨日書いたやりたい事の一つに縫物があります。
今日、近くのスーパーで洋裁学校時代の友だちに会った。
買い物そっちのけで、なつかしいなぁって話しました。
「この頃、縫いたくなってね」と友人が言う。
「私も、私もやで」と答える。
私もお店や通販で買う方がデザインもいいのがあるが何となく縫いたいのだ。
不思議なものだ。50年以上も前にお互い通った洋裁学校で習った洋裁が無性にしたくなるなんて。当時のもう一人の友だちも同じことを思っているらしい。
私が買いに行った服地屋さんへ彼女たちも行って生地を買いこんできたと言って話が盛り上がった。

今度お宅へ行くから教えてね。と言って別れたが私は何を買いに行ったのか忘れてしまい、彼女も籠の中にはレタスが一個入っていただけ。
いけない、いけない夕飯作らねば。
しばし、時を忘れるほど楽しい立ち話をした。

色々出来ない

洗濯しながら料理もやってのける主婦の鑑みたいな人がいる一方、私は正反対の単一のことしかできない。
やかんでお茶を沸かしている間に洗濯ものを干したりしてるとすっかりお茶のことは忘れて干し終わって気付けばガンガンに沸騰している。
掃除機を使っていて、ちょっと押し入れのことを始めると押入れが中心になって掃除のことは忘れてハッと気が付くと掃除が全然できてない。こんなのを世間ではドンくさいって言うみたいです。

こんなだのに先日から色々あって気ばかり焦っていたがようやく片付いた。
焦っていると体も影響でるのか、やたら眠くなる。
気分転換のサスペンスドラマを見ていてもこのところ事件解決まで見たことがない。

日足も短くなり早足で秋が来ているようだ。
気分一新で気を取り直して何から始めよう。
読みたい本や途中で止まっているパソコンの復習、そうだ植木鉢も片付けないとね。
いっぱいすることがあるのは意欲が湧くが何しろ一つ一つしかできないのです。

台風後にも咲き続ける玉すだれ庭で枯れなかった数少ない花です。
めげない生命力に 乾杯したい気持ちです

2018年9月9日日曜日

爪あと

今日は朝から雨、予定の作業が出来ないと思っていたら止んだ。
少しでも片付けたい、表の方のゴミを掃いても奥から次々と風に乗って運ばれてくるので困る。
蚊取り線香に火をつけることから作業が始まる。

台風のすぐ後はチリチリに枯れてしまった中に助かった緑の葉があったが今日になって枯れ始めたのもある。
これでも直後はかなりの水をかけたのだが。
塩台風の爪あとがじわじわと襲ってくる。

田の稲も倒れてなくてよかったと思うのも束の間で田全体が茶色く枯れている。
収穫前の痛手は計り知れない。

わが家の金木犀も南側の半分が葉っぱがほとんど落ちてしまった。
半分青いじゃなくって半分ぼうずになってしまった。
他にも半分枯れた木もある。
ぬれ落ち葉は始末が悪い。ゴミ袋に2個集まった。
黒く枯れた枝や葉を取り除いて今日はここまでとする。

2018年9月8日土曜日

今日はお休み

町内の台風被害調べ、敬老お祝金の調べと用意、私的なことだが身内の葬儀などがあり、それらも片付いてきたので今日は自宅の落ち葉や枯れた草花の整理をしようと計画していたのだが、洗濯を済ませた頃から急にやる気が失せてダラダラが止まらない。

こんな日はいくら体に言い聞かせてもサッパリ言う事を聞いてくれない、きっとどこかで<やめだやめだ>と言っているのだろう。
それで今日は休日にした(毎日が休日のような私だが何もしない休日)。
ウダウダしてゴロゴロしてそのくせ食べることは省いたりせずに一日を過ごすと体の要求が消えた。
分かりやすい体である。

最近はそんな体の求めに素直になる方が結局はうまくいくということを学習した。だってこの体、なだめなだめ使わないとかなり傷んできているからね。
きっと明日は裏でゴソゴソとそれでも休み休みしながら作業してることだろう。

2018年9月6日木曜日

台風が来た

前々から今度のはとても大きいとは聞いていたが本当に大きかった。
電線のうなる音がまるで猛獣の叫び声のようで、心がざわつく。瞬きのような停電が二三度有り、その後で本格的な停電。
こんな長い時間の停電は何年振りだろう?

団扇であおぎ、冷蔵庫の開閉は極力避け、懐中電灯は夜に要るかもと使わずにシャッターを閉めた部屋の中で、孫と座っていた。それでもうす明りはあるが座ってるしかすることがない。
電気のありがたさシミジミだ。

「今、ひとつだけ使える電気があれば何に使う?」と孫が聞いてきた。
私は即座に「エアコン」孫はやはりゲームをしたいと言う。
台風には停電が付きものだった時代、母は何を置いてもご飯を炊き、水を大きな鍋などにくみ置きをしていたのを思い出し、午前中にご飯を炊いておいたのが良かった。

みんなでおむすびと缶詰の夕食と覚悟した頃パッと灯りがともった。
まだ通電していない地域があるらしく申し訳ない気分だがうれしかった。

2018年9月3日月曜日

教養講座

子供たちの二学期のように9月からの教養講座が始まった。
今回は「西郷ドン 」の著者でもある林真理子さん。
壇上の林真理子さんは小学校の先生のような紺色のスーツで現れた。ピシッとしたスーツでなく動きやすそうないかにも教壇で授業中みたいな感じ。
実は私、そのTVドラマも見てないし「不機嫌な果実」も読んでないし直木賞選考委員と言うことも知らなかった。
ただ以前、TV番組で自分の母校の小学校の生徒たちに2日ほど先生として過ごす「ようこそ先輩 課外授業」とか言う番組に出ていた彼女をみたことがある。ずいぶん昔のことだが、そのときは子供たちに「誰でも物語は書ける」といってある生徒の書いたシンデレラのその後みたいな話が紹介されていたのを思い出した。
だから壇上の講師と言うよりも小学校の先生というイメージが湧いたのかもしれない。
何より声の質が耳に心地いいのだ。でウトウトし、教養どころではないが毎回のことで申し訳ない。

その間淀みなく話されてすごいなと思うのだがその時は良かった!って帰ってきたのに今その内容が思い出せないのはなぜだろう?反省しきり・・・
その中で歴史小説は資料の研究に尽くすことと言ってたのが印象的でした。

2018年9月2日日曜日

懐かしい味

昔よく買ったパンに偶然出会った。3個入ったあんパン、ふわふわでしっとりの皮とたっぷりのこしあんがたまらないおいしさ。
それにその包装の意匠も当時のまま、懐かしい友人に会ったような気がして思わず籠に入れた。

早速その懐かしいアンパンを頂く、当時のままふわふわでしっとりの皮とたっぷりのこしあんは何ら変わっていないのにあの時のような満足感が得られないのはなぜだろう。
私が大人になったから?味に対する好みが変わったから?
なにより市場にはあの頃より溢れるほどのたくさん種類の味が出てきてそれらの味に馴染んでしまったせいなのかもしれない。
いつも一緒だった友だちも年月や環境が変わると変化するのと同じなのだろう。

昔の味といえば高校のホールで食べたラーメンや瓶に入ったコーヒー牛乳、なつかしいなあ、食べざかりの年齢にはたまらないおいしさだった。
今出会うとどんな味がするのだろう?

2018年9月1日土曜日

夏休み終わる

夏休みが終わり2学期が始まった。
通常の授業はどうやら週明けからのようだ。
今日はプールで「泳力テスト」なるものがあるらしい。休み中セッセとプールに通った成果を確かめるのだろう。

相変わらず学習に対する(やる気ボタン)は見つからないままだが楽しそうに友だちと登下校する様子に少し成長したように思うのはひいき目なのだろうか。

まだまだ暑さが続く、だけど、日暮れが早くなった分影が出来るのが早いので何となく秋を感じる。
あまりの暑さに植えたものが成長出来ずにいたがヤブランの薄紫の花、玉すだれの白い花も咲きだしホッとしている。