石川啄木の妻節子の一人芝居を鑑賞した。
ご存じ一握の砂、悲しき玩具などの著者の啄木を愛と忍耐でその生涯を支えた節子の物語。
愛があっても金がない。貧困は病を呼び、家庭を不和に陥れるという負のスパイラル。
明治女の強さで彼を支えるのだが、これほどまでに忍耐強く愛に一途になれたのは節子ならではであろう。
一方啄木は私の心に長年棲みついていた彼のイメージとは程遠いものとなってしまった。
「はたらけど はたらけど・・・」や「ふるさとの訛り懐かし・・・」が彼のすべてだと思い込んでいた。
一生懸命働いても少しも暮らしは良くならず、帰るに帰れぬ故郷をなつかしむ芸術や文学の世界によくある清貧の苦労人と認識していたのである。
しかし、啄木の事をもっと知りたくて調べてみたら、中学を中途退学したのは二度のカンニングがばれたので自主退学しただの単身東京暮らしをした時も遊び呆けていただのを目にした時、教科書でよくみる真面目そのものという顔で映っている写真からは想像できず、
抱いていたイメージが音を立てて崩れ落ちるのを感じた。
しかし、そんな彼にも節子の他に金銭面で支えてくれた人物がいた。自分の蔵書を売ってまでも用立ててくれたり、薬代やお見舞いの金子を送ってくれたりしている。
今の時代ならそんな人物が出現していただろうか。
また彼の病気も今の時代ならどうだろう。
医学の進歩により病気は恢復し、自身の短歌が世間でうけ入れられ成功をその目で確かめられたのではと思う。
いずれにせよ二人の命がもう少し長ければまた陽の目を見ることが出来ただろうに。
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