2019年8月20日火曜日

鎌田 十六さん

鎌田 十六(とむ)さん、現在106歳の女性である。
高齢と言うだけでも驚くが車いすではあるがさらに受け答えはしっかりしていて、若い日の記憶力は驚くばかりである。

大正2年1月16日生れお名前の〈とむ〉は16に因んだもの。

太平洋戦争でB29による東京への空爆で3月10日未明、彼女と夫、背中に生後6ヶ月の娘で隅田川の方へ避難するも、夫と背中の長女を失う。水の中に落ちた彼女は夫とはぐれ,
生きていると思って「この子を診てやってください」と救助隊にいうと背中の娘をみて「亡くなっています」といわれた。
数日後、夫は川下で遺体で見つかる。
涙は一滴も出なかったが廃材で荼毘にふし遺骨を新聞紙に包み夫の郷里の母に届けると「貴女だけでも助かってよかった」と言われた時初めて涙が出たんです。

上野で小さなおにぎりを食べようとしたら「ください!」と当時は浮浪児とよばれる大勢の孤児たちが手を出した。

そんなことから東京養育院に就職する。そこは100人を超える戦争孤児たちを養育する施設とは言うものの「なにもないんです。お風呂はドラム缶で粗末な囲いがあるだけでみんなを洗ってあげるんです」
不足している物は食料や物資だけでなく親の愛情迄も失った子供たち。

ある日、一人の子に「おかあさんと言っていいよというとみんながわたしのこと、おかあさんと呼ぶようになったんです」とほほえむ。30代から70歳で退職するまで実に500人以上の子供たちを育てる。
彼女が担当するクラスはなぜか落ち着いていたと当時の後輩が語る。
亡き娘に「面倒みてやって」と言われたから続けられたと語る。
かつての教え子が訪ねてきた。65歳の男性で5歳から15歳までそこで育ったという、「今の自分があるのは先生のお陰」と話す。
私よりも年下であることに驚く。
私は戦後生まれで当時の暮らしがどうだったのか知らないが
両親のもとで育ち今がある。
立場が振り替わっていても不思議でない。

とむさんの偉業を初めて知る。日本の復興の陰で彼女たちのような献身的な人が大勢支えてくれたのだろう。
壮絶な戦争体験をテレビで知った。

既に戦後の記憶は薄れゆく傾向があるが語り継ぐべき事柄であろう。

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