「あびき」初めて聞く言葉である。
説明に広辞苑による、と断りがあり(漁村語)満ち潮の途上に干き潮の生じること、暴風雨の兆しという。単に大浪のことをもいう。とある。
例の<日高野>に掲載されている文章のタイトルが「あびき」である。
昭和 21年12月21日未明の激しい地震に見舞われた。
これが南海地震といわれるものであろう。
作者は由良町網代の漁港付近に住まわれていたと思われる。
その時の様子が細やかに表現されている。
皆が「がいな地震やど おかん わい 海見てくらよ」と家を飛び出した健吉という人が見た光景は網や煮干の干し場、それに草の広っぱ、カフェなどの付近は半分泥(ぬ)半分砂状になっていた。海岸には人々が群がりガヤついていたその時一瞬紀伊水道が白く光ったとある。漁師たちは度肝を抜かれて「津波やどぉ 津波がくるどぉ」暁闇の中で村全体がどよめき立って駈け出した。
山に向かって逃げる、闇の中は異様なざわめきに包まれ・・・
津波は人の背丈ほどになりやがて引きはじめた。メリメリ、バチバチ、パリパリ…と家が壊れる音「助けてー」「助けてー」という悲鳴が生き地獄のようであった。又二回目の津波は一回目より10センチほど高く、健吉は何度目かの津波が引いた時家の見回りに山を降りる。流木やがらくたがうず高く重なっていた、表通りへ。おばあさんが亡くなっていたので家の中に入れておいてあげたけど。先に逃げたはずの弟の姿が見えずさがすと別のところで無事であった。又山へとって返す。
津波は陸(おか)で十数回寄せては引きを繰り返しが昼近くまで続いたとある。油の線が襖や壁に目の高さから順に何本もその回数を刻銘に記している。
先のおばあさんがまた押し流されて流れてきた畳の下敷きになっていたという。十一人の遺体をにわか作りの戸板でお寺に運ぶ。
その日から被災者は着の身着のまま大きな余震におびえながら焚き火をして片付けに明け暮れた。
港は三つある湾口の防波堤の一つが真っ二つに沖に向かって折れていた
港の水をかっさらって海底が干上がってしまったのではないかと思われる程の引きであった。
この文を一気に読み、今まで講演できいた防災のどんな話より身に沁みてその情景と恐ろしさが伝わってきた。
この古い本の中に閉じ込めておくにはもったいないほどの文章であると感じた。
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