高見の自らの出生について自分の本当の父は高見政一か不二草薫かの疑惑がますます深まる。年表からの推測ではどちらの可能性もある。
ある時高見政一が大学の修士論文に「アンフィトリオン」の戯曲について書いたのを見る機会に恵まれた。
アンフィトリオンの妻が身ごもって産んだヘラクレスの父はアンフィトリオンの子か、はたまた横恋慕してアンフィトリオンに姿を変えて戦争に行って留守の間に寝所に忍び込んだジュピテル神の子かの問答がある。
妻のアルクメールはジュピテルが自分の子だといっても頑として受け付けない。
この子は夫アンフィトリオンとの子だ。とどちらの可能性がどれほど大きい物であっても決定はアルクメールに委ねられる。
しかし、この考えはアルクメールの考えであると同時に父政一自身の判断でもあるのではないか。
自分の主張を代弁してくれるテーマであったのではと考える。
あいまいな事実、答えの知りようのない事実、知ってみても甲斐のない事実があるなら事実は自分が決定しようではないか。そんな意味合いの文章が論文の中に綴られている。
父も母も仲睦ましい仲にもその胸中に「この子の父は不二草薫かもしれない」という疑念があったに違いない。
ずっと続いていた煩悶を遂にその決定を「俺たち二人でする」と決意する。
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